一つの事実に触れ得るのである。
まともに相剋に立ち入っては一生を賭しても解決はむずかしいのだからと、今日の文化がもっている凹みの一つである女らしさの観念をこちらから把んで、そこで女らしさの取引きを行って処世的にのしてゆくという態度も今日の女の生きる打算のなかには目立っている。それを現実的な女の聰明さというように見る女自身の誤りの上に、その実際はなり立っている。矛盾の多い社会の現象の間では、軽蔑に価する態度が、功利的な価値を現してゆくことも幾多ある。そんなこといったって、あの人はあれで名声も金もえているという場合もあるが、現代の若い女のひとは、人生の評価をそこで終りにしてしまわないだけには人間として成長もして来ているのではないだろうか。私たちの生きている時代は外廓的には随分進んでいるから、女のおくれている面で食っている女というものもどっさり出て来ている。真に女の生活のひろがりのため、高まりのため、世の中に一つの美をももたらそうという念願からでなく、例えば女らしさを喰いものにしてゆく女が、肉体を売る商売ではなく精神を売る商売としてある。
社会のある特殊な時代が今日のような形をとって来ると、女の職業的な進出や、生産へ労働力として参加する数や質のひろがりに逆比例して、女らしい躾みだとか慎しさとか従順さとかが、一括した女らしさという表現でいっそう女につよく求められて来ている。日夜手にふれている機械は近代の科学性の尖端に立っているものだけれども、それについて働いている若い女のひとに求められている女らしさの内容のこまかいことは、働いている女のひととして決して便利でものぞましいものでもないという場合は到るところにあると思う。そういうことについて苦痛を感じる若い女の心が、真率にその苦痛を社会的にも訴えてゆく、そこにも自然な女らしさが認められなければならないのだと思う。女自身が、女同士としてそのことを当然とし自然としてゆく気持が必要だといえると思う。こういう場合についても、私たちは女の進む道をさえぎるのは常に男だとばかりは決していえない、という現実を、被いなく知らなければならないと思うのである。
女の本来の心の発動というものも、歴史の中での女のありようと切りはなしてはいえないし、抽象的にいえないものだと思う。人間としての男の精神と感情との発現が実にさまざまの姿をとってゆくように、女の心の姿も実にさまざまであって、それでいいのではないだろうか。真に憤るだけの心の力をもった女は美しいと思う。真に悲しむべきことを悲しめる女のひとは立派と思う。本当にうれしいことを腹からうれしいと表現する女のひとは、この世の宝ではないだろうか。そして、あらゆるそれらのあらわれは女らしいのだと思う。
ある種の男のひとは、女が単純率直に心情を吐露するところがよとしているが、自分の心の真の流れを見ている女は、そういう言葉に懐疑的な微笑を洩すだろうと思う。現代の女は、決してあらゆる時と処とでそんなに単純素朴に真情を吐露し得る事情におかれてはいない、そのことは女自身が知っている。ある何人かの悧巧な女が、その男のひとの受け切れる範囲での真率さで、わかる範囲の心持を吐露したとしても、それは全部でない。女の真情は現代に生きて、綺麗ごとですんではいないのだから。
生活の環がひろがり高まるにつれて女の心も男同様綺麗ごとにすんではいないのだし、それが現実であると同時に、更にそれらの波瀾の中から人間らしい心情に到ろうとしている生活の道こそ真実であることを、自分にもはっきり知ることが、女の心の成長のために避けがたい必要ではなかろうか。
これからのいよいよ錯雑紛糾する歴史の波の間に生き、そこで成長してゆくために、女は、従来いい意味での女らしさ、悪い意味での女らしさと二様にだけいわれて来ていたものから、更に質を発展させた第三種めの、女としての人間らしさというものを生み出して、そこで自身のびてゆき、周囲をも伸してゆく心構えがいると思う。これまでいい意味での女らしさの範疇からもあふれていた、現実へのつよい倦《う》むことない探求心、そのことから必然されて来る科学的な綜合的な事物の見かたと判断、生活に一定の方向を求めてゆく感情の思意ある一貫性などが、強靭な生活の腱とならなければ、とても今日と明日との変転に処して人間らしい成長を保ってゆけまいと思う。世俗な勝気や負けん気の女のひとは相当あるのだけれども、勝気とか負けん気とかいうものは、いつも相手があってそれとの張り合いの上でのことで、その女らしい脆《もろ》さで裏づけされたつよさは、女のひとのよさよりもわるさを助長しているのがこれまでのありようであった。
女の人間らしい慈愛のひろさにしろ、それを感情から情熱に高め、持続して、生活のうちに実現してゆく
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング