、働きながら学べる大学を求めていることは、この新帰朝者に知られていません。日本のわたしたちは、憲法の抽象的な人権擁護の文句を、実質のあるものにしてゆこうと、計画的に努力していないでしょうか。
「日本人ほど抽象的な議論の好きな国民はない」という言葉に筆者は同感されています。それは一部には当っております。たとえば、みなさま御存知の経済安定本部――安本――あそこはたしかに抽象がすきです。その点で日本のわるい面の代表ですが、それは、新帰朝者のいうように、日本が思想とか主義とかいっていられる時代でない、ということになるでしょうか。
日本には、社会生活のほんとの考えかたが民主的に訓練されていないからこそ、抽象論が多いのです。アルバイトしている男女学生の生活は、経済安定本部の抽象性の修正者です。日本のわたしたちは、考えるということを禁じられて来たから、きょうの混乱が一層めちゃめちゃなのです。第一、考えること、思想するということを、現実からはなれることと考えた古いブルジョア文化の分裂した理解こそ、非現実です。日本では、封建の習慣から、女性にはなおさら、むずかしく考えるにはおよばない、という態度が示さ
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