関係までを自分の問題としてとりあげる迫力がなく、しかも常に朗らかでばかりあり得ない気分の上でだけ新らしさを追求する結果、すでに映画制作者が巧みにも把えている古いものの新らしげな扮飾[#「新らしげな扮飾」に傍点]が、恋愛の技巧の上で横行する。互にまともな結婚もなかなかできない下級サラリーマンとウーマンとが、自分たちのゆがめられしぼられている小さい恋の花束を眺めて、野暮に憤る代りに、肩をすくめ、目交ぜし合い、やがて口笛を吹いてゆくような新らしげ[#「新らしげ」に傍点]な受動性。あるいは「女の心」に扱われているような至極手のこんだデカダニズムなど。それとても条件の自由なスクリーンの上での影である。われわれを埃っぽくとりまく実際のきのう、きょうを見わたして、新しい[#「新しい」に傍点]恋愛や結婚が、はたしてブルジョア社会のどこに見出せるであろうか。
 子福者小笠原伯爵の何番目かの娘さんが最近スポーツマンであった体躯肥大な某氏と結婚された写真が出ていた。月給は七十円だけれども、豪壮な新邸に住まわれるそうである。一寸名のあるスポーツマンになるといいぜ、就職が楽だぜ。そういう功利的通念は、今や、オイ
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