九年間に世界史にも多く例を見ないほど複雑な困難を経験した。その困難な実践をとおし、次代の建設との関連において、恋愛・結婚観も徐々に高められて今日に至っていることを私たちは見落してはならぬと思う。
 階級的な男女の結合というと、すぐコロンタイの「赤い恋」が話題にのぼったのは、かれこれ七年くらい前のことであろうか。当時私はモスクワにいた。そして本家本元のソヴェト同盟では厳密に批判され、本屋に本も出ていないようなコロンタイズムが流布することを知って、非常に苦しいような驚いた心持がしたのを今もはっきり覚えている。
 コロンタイズムは、全く一九一七年から二三年間の混乱期にふるいブルジョア社会の性的放縦の最後の反映、火花として現れた変則な社会現象であった。四五年以上も経過してから、日本において、一つの急進的な性関係のタイプとして、イデオロギー的にコロンタイズムが流布したのには、またそれだけの社会的必然があったと思われる。
 いわゆる、マルクス・ボーイ、エンゲルス・ガールという名ができたほど、当時は広汎に小市民層の若い男女がマルクシズムをうけ入れた時代であった。
 それらの急進的な若い男女があふれるような活力と感受性とを傾けて、学内の活動などに吸収されて行った有様は、めざましいものであったろう。ところが彼らが研究会やなにかでイデオロギー的に獲得した輝かしい未来の社会、両性関係の見とり図と、現実の日常生活との間には、少なからぬギャップがあったであろうことは、たやすく推察することができる。歴史的にも若々しかった彼らのある者は、性急にそのギャップを自分たちの身をもって埋めようとした。性的な欲望を満たすことは喉の干いた時一杯の水をのむにひとしいという言葉の最も素朴な理解が、恋愛、結婚に対する過去の神秘主義的封建的宿命論の反撥として、勇敢に実行にうつされた。個人生活と階級人としての連帯的活動とが二元的な互に遊離したものとして承認され、階級的な活動の邪魔にさえならなければ、個人的な生活の面では何をしようとそれはその人の勝手であるという考えかたがあったらしい。このことを、当時性関係の面で論議をかもされつつも強い勢力をもって一部に実行されていたコロンタイズム類似の行動と照らしあわせて今日の目で見ると、その頃の運動の歴史がもっていた小市民的な制約性の性質がまざまざとわかり、深い教訓を我々に語るもの
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