自分達の生活が、この沖の小島を見晴すように、一点遙に情を湛え、広々と明るい全景の裡に小さく浮んでいるようで、さよは穏やかな悦びと懐しさとを覚えた。

        二

 それから間もない或る日のことであった。
 さよは、良人と良人の友人と三人で晩餐の卓子についていた。彼女の隣りに良人が座った。彼女の真向には友人が。そして、箸をとりあげて暫くすると、保夫は、
「う? う? う?」
と口の裡で言葉にならない音を出しながら、何か訊くように彼女の方に顔を向けた。
 さよは、良人の顔を見返したが、すぐ答えた。
「ああもういいの、すぐあがって――」
 彼女は、保夫の箸の先が小鉢の浸しものに触れているので、何心なく猿の合図のような「う? う? う?」を、「これに、したじがかかっているのか」と翻訳して聞いたのであった。
 友人は、ナスタアシウムの花越しに二人を見較べた。
「何だね、どうしたの?」
 保夫の説明でいきさつが判ると、彼は、
「ふうむ」
とやや大仰に感服した。
「さすがに夫婦は違うな。僕はいくら考えようとしても、まるで見当がつかなかったよ。……ふうむ、うまい工合に行くもんだなあ」
 さよは何とも云わずに微笑した。友人は独身者であった。ひやかしとも愛素とも羨しがりともとれる言葉にどう返事してよいか解らなかったし「うまい工合に行くもんだなあ」という感歎詞は、悪意のないことは明瞭であったが、彼女に自分の心がまるで試験された電熱器にでもなったような淋しさを与えた。
 月の明るい頃であったので、彼女達はその友人を送って、五六丁ある停車場まで行った。帰りには、二人並んで来る正面に月があった。水蒸気がある故か、さやかな月のまわりには、大きな大きな金灰色の暈《かさ》が眠げに悠《ゆっ》たり懸っている。暈の端れに、よく光る星が一つ飾のようについていた。初夏の夜の精気を溶し、凝したような月と星とは、彼等の行く先々、いい匂いで繁っている栗の梢や、繊い欅の黒い枝のかげに先駆をする。さよは自分の足の運びが磁力に吸われて月へ月へと向って行くように感じた。帽子もかぶらず、軽い杖を手にしたぎりで保夫は、ゆっくり大股に彼女の傍を歩いて来る。彼が、平和な幸福を感じていること、心のどこかで、友人が喋りつづけた事柄を味い、かみなおしているのがさよによくわかった。友人は、来てから帰る迄、殆ど結婚生活のことばかり
前へ 次へ
全19ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング