延長にもたえるはずではないだろうか。手早くつくられてゆく物語の面白さというのではなく、人間がまどろしく生きてゆくかと思うと、あるとき案外な飛躍もするその歴史の面白さを物語る、その感銘が生み出せないと云えるだろうか。わたしのところでは、はじめから社会主義リアリズムの方法によって描く、という、説明として通用しやすい手段はとられなかった。作者としての見とおしはあるものの、あらわれたところでは長篇の肉体そのものの螺旋形上昇とともに、その内側で社会主義リアリズムものびて来る、ということにならないわけには行かなかった。わたしにおいて社会主義リアリズムは、作品をつくる方法[#「作品をつくる方法」に傍点]として、作品のそとに存在するものでなかった。
作者としては、このごろやっと一つのところへ出て来たが、このおかしな方法――だがわたしにとってそれしかなかった方法を、全く第三者として分析する能力には達していない。
三
風がわりな歩調で歩いて来たにせよ、作者として一定の方法が展望されていたことは、今日までの過程でうけた批評のあるものについて、いくつかの問題を考えさせている。
その一つは「道標」第一巻から第二巻にかけてのころ云われた、作者は折角ソヴェトを描きながら、伸子の見たことしか書けない、という批評である。桑原武夫の評論の中でも、この「レンズの光度の低さ」は「日本的方法の限界を示し」、日本の文学に共通な後進性として、鋭いフォークで刺されている。そして、スタインベックが旅行記をかいたように、その他ヨーロッパの誰彼が旅行記をかいたように、日本の作家には外国がかけないのであるというように云われた。
スタインベックの「ソヴェート旅行記」は魅力のある報告であった。そこには、一九二七―三〇年のモスクワでないモスクワが描かれているし、反ナチの祖国戦争で、ソヴェトの人々が人類の平和のためにどれだけかけひきぬきの犠牲をいとわなかったか、その巨大な破壊とそこからの回復のためにいかに奮闘しているかということを、スタインベックは、あたたかくわれわれにつたえている。スターリングラードでの、彼は、彼の作家としての生涯にとっておそらく最も強烈でまじりけない人類的感銘をうけている。
「スターリングラードの再建」の最後に彼ののべている感想には、真実の響がある。世界の元首たちが、スターリングラード市民の名誉のためにおくりものをした品々と云えば、中性の剣とか古代の楯の模造品であり、その記念帳にかかれた文字は、「世界の英雄たち」とか「文明の防衛者達」という字である。スタインベックは、「これらはすべて極めてとるに足らない事を祝う時に使われる馬鹿馬鹿しい讚辞である」と云っている。「スターリングラードが六台の土鋤機を欲しているときに、世界は一個のごまかしの賞牌をその胸に飾ったのである」と。
だけれども、スターリングラードの夕暮、彼に忘れがたい感銘を与えた一人の少年の姿――夕方になると共同墓地に葬られた父を必ず訪れる少年の運命にとって、第二次大戦に連合軍が第二戦線をおくらして、ソヴェトに最も負担の多い出血を余儀なくさせたことは、どのように連関しているかについて、スタインベックは、ふれなかった。
シーモノフの「ロシアの問題」について、彼は少からぬ質問者に出会った。そして彼らを説破した方法を、スタインベックは無邪気に語っている。彼は「ロシアの問題」の題材とテーマとを、すっかり逆におきかえて、もしソヴェトにおいてアメリカに対するこういうことがあるとしたら、君たちはどう思うか、と反問すると、大抵、それが真実でないことを納得した、と語っている。読者は、このエピソードに、ソヴェトの人々の四角四面で素朴な合理主義が、スタインベックの練達した話術のトリックにかかるモメントを目撃しないわけに行かない。そして、このエピソードにおけるスタインベックの成功を慶賀するよりも、現代においてすぐれた作家の一人である彼が、そういう話ぶりをしていることを気の毒に思う。なぜなら、「怒りの葡萄」の中でスタインベックは、カリフォルニアの果樹園とそのまわりにあぶれている季節労働者――土地をとられた農民の群の有様を描いている。豊饒なカリフォルニアの果樹園で、市価がやすいために収穫がのばされている。樹の下には甘熟した果物が重なって落ちて、くさりはじめている。酔うような匂いがあたりをこめている。だが、あぶれて餓えている労働者たちは、その一つを拾って食うことも許されない。子供が拾って食うことも厳禁されている。「怒りの葡萄」に鋭い筆致で描かれているこの事実をスタインベックがソヴェトの人々に向って話したとしたら、こんな非合理で非人間的な浪費があり得ると思うかときいたとしたら、ソヴェトの人たちは何と答えるだろう。|気違いだ《スウマ・ソシュリー》! と答えるにきまっている。しかし、この場合、ソヴェトの人々の常識では狂気としか判断されない事実[#「事実」に傍点]を、スタインベックは、神の怒りにかけて現実に見つつあるのである。そのような巧智な話術で彼がすりぬけた――というよりも、集団《マス》として「ロシアの問題」にかかわる彼の同国人をすりぬけさせてやった、その線のところにこそ「怒りの葡萄」ののちに来るテーマがひそんでいるであったろうに。――
彼が「一人の男に握られた権力やその永続を極度に恐れ憎むアメリカ人にとって」、スターリンがどこでも必ず顔を出している(肖像画や写真や彫像で)ことは、「恐怖すべきことであり、嫌悪すべきことである」と云っていることも現代のアメリカ市民の心理にある特色を示していて興味ふかい。現在のアメリカ人にとってきらいなこと[#「アメリカ人にとってきらいなこと」に傍点]は、きらいなことだときめるだけですむかのように、それから先の追究をすてているところに、アメリカの明るさと同時に異様な主体性の没却を示している。
そして、巨大な現象をつかみながら、作家の主体的角度が消失しているという点こそ、アメリカ現代文学の無気味な点ではなかろうか。「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの強烈な性格と生活力にかかわらず、バトラーの抜け目なさにかかわらず、彼らのところで経験されたのは状況と境遇とにすぎなかった。アプトン・シンクレアの「ラニー・バッド」は、尨大なアメリカ式|切抜き《スクラップ》と整理《ファイル》の事業である。作者は、その国の億万長者たちが世界地図をいつの間にか盤にして、その上にチェスのコマを動かしているように、世界のあらゆる場所にラニー・バッドを出没させる。地球とそこに起る出来ごとは作者の目の下にあるようだが、主人公であるラニー・バッドとは、何者だろう? その行動性をぬいたら、彼のヒューマニティにのこるのは博識と社交性とそしてすべてのものに不自由のない人間の一種底なしの虚無ではあるまいか。「アメリカの悲劇」は、たしかにこんにちドライサーのテーマとしたところから前進している。「ブルー・ラプソディー」にまで。
こうつきつめてみると、日本の作家が「スタインベックの程度」にかかないということも単純でなくなって来る。
世界の現実に対して、理性が主体的な角度に立つリアリズム――社会主義的リアリズムについて考えている作家は、スタインベックがソヴェトの人々の合理主義を扱ったああいう風にそれを扱おうとはしないだろう。そして、社会主義の社会の住民として「攻撃を受けて自分自身を守り通した小さい人々」の人間価値を評価し、彼ほど衷心から戦争の犯罪性を指摘するなら、人民階級の独裁ということと、金と権力をひっくるめて独占するということとの間にあるちがいについても学ぼうとするだろう。――これはもとより、わたしが「道標」の前半を、どのように書くことができているか、ということについての弁明ではない。「道標」前半におけるモスクワと伸子との相互関係は、伸子がまだそこにある社会生活を総括して政治的なその根元からつかめず、次々に接触する事物からの感銘や批判を摂取して目に見えず内面変革にすすんでゆく、その段階においてとらえられているのである。拙劣に扱われているかもしれないが、伸子とモスクワ生活との関係で、主体と方向は失われていない。
四
新心理主義の方法は、現代社会のコンプレックスを超現実の手法をもかりてコンプレックスなりに再現しようとしたのではなかったろうか。
文学にあっては、あることが表現しにくい、と表現するにさえ、つまりは表現の力をかりなければならない。文学として表現されたとき、真の人間不信はあり得ないと思う。なぜなら既に表現するということが、理解を予想しているのだから。
わたしの心理に近代的コンプレックスが見られないということが、あき足りなさとしてしばしば云われる。或いはいくらか嘲弄的にもふれられる。ある読者からフロイドをどう考えるか、という質問もあった。
わたしの生活と文学との通って来た特別な道行きをさかのぼってみると、わたしは、常にコンプレックスを解く方向[#「解く方向」に傍点]へ努力しつづけて来た人間であった。互に押しへだてられて生活した十二年間に、夫と妻であるわたしたちは、当時の不自然きわまる個人的・社会的条件――コンプレックスそのものである日々の中で、あらゆる機会と表現をとらえて可能なかぎり互のコンプレックスを解放する努力をつづけて来た。ひずんでしまわないために、偏執にひからびないために。
そういう事情があったばかりでなく、わたしは、コンプレックスを解こうとしずにいられないたち[#「たち」に傍点]かもしれない。日本の社会は、どっちを向いても、あんまりコンプレックスが多すぎる。こんにちでは、昔ながらの日本のコンプレックスが解かれきっていない上に舶来のファクターが重って来て、日本の知性、良心のコンプレックスは実に圧の高いものになった。
第一次大戦から第二次大戦までの文学に、フロイドが与えた影響は非常に広汎であったと思う。そして、現在でも、フロイドが人間性の自然な解放のために、その心理的、潜在意識的モメントとしてとらえた主として性のコンプレックスは、社会と、個人の精神のうちに存在していることも明かである。だけれども、一方最近の数年間に、世界の市民的な生活感覚に潜在するコンプレックスは、フロイドの時代からみれば比較にならないほど、その複合の要素を複雑にして来ているというのも、現実だろうと思う。第一次大戦の社会混乱と過去の秩序の崩壊につれて、とくに婦人にとって因習的であった性に関する意識の抑圧が、堪えがたい精神圧迫となった時期、フロイドの方法は、明かに一種の解放手段として役立った。
第二次大戦が火をふきはじめた時、近代人がより深く潜在意識の裡に生きているとして、そのような創作の方法にしたがっていた心理主義の婦人作家ヴァージニア・ウルフが、イギリスで、彼女の住居の近くの川に身を投げて死んだ。六十歳を越していた彼女が、世界よ、さようなら、と書きのこして訣別した「世界」は、潜在意識の世界[#「世界」に傍点]だったろうか。わたしには、そう考えられなかった。
性に関するコンプレックスだけとりあげてみても、それは第二次大戦の時期を通じて、われわれの意識のなかに「コンプレックス」として意識されるものになって来ているし、そのコンプレックスは、ドイツの若い婦人に対してヒトラーの政府が利用したようなものとしてあらせてはならないし、日本軍隊の婦女暴行としてくりかえされてもならないという意識も、明瞭に意識されて来ている。したがって、こんにちフロイドの精神分析をうけつぐ人があるならば、そのひとは、第二次大戦後、性コンプレックスは、その複合体のうちにどれほど多量の経済、政治上の要因をふくんで膨脹して来たか、を見ずにいないであろう。そして、その人も、おそらくは、わたしたちの常識がそうみとめているように、コンプレックスについて語るとき、フロイド流に性意識の圧迫にだけ重点をおくことは、現実におくれていることを発見す
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