たされている人は案外に多いのではないだろうか。
 こんにち書き改められようとしている東洋史――東南アジア史は、こんにちの東南アジア諸国の大部分が、数百年の過去には、それぞれの民族としてのすぐれた文学その他の芸術をもっていたことを告げている。
 ジャーナリズムの上に氾濫している小説の数によって、一つの民族がろくな文学も持たない「島の住民」となる危険から保障されていると云えるものはない。一つの民族の社会と文学の健全にとっては、少数の西欧文学精神のうけつぎてが、自国の文学について劣等感に支配されつつ、翻訳文学であるならば、つとめてその優性をひき出すとしても、多くプラスするところはない。中国の文学的教養の大きい部分がフランス文学、イギリス文学、そして日本文学から摂取されていた時代、中国は自身を植民地の民としての立場から解放させ得なかった。[#地付き]〔一九五〇年九月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27
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