社会は、どっちを向いても、あんまりコンプレックスが多すぎる。こんにちでは、昔ながらの日本のコンプレックスが解かれきっていない上に舶来のファクターが重って来て、日本の知性、良心のコンプレックスは実に圧の高いものになった。
第一次大戦から第二次大戦までの文学に、フロイドが与えた影響は非常に広汎であったと思う。そして、現在でも、フロイドが人間性の自然な解放のために、その心理的、潜在意識的モメントとしてとらえた主として性のコンプレックスは、社会と、個人の精神のうちに存在していることも明かである。だけれども、一方最近の数年間に、世界の市民的な生活感覚に潜在するコンプレックスは、フロイドの時代からみれば比較にならないほど、その複合の要素を複雑にして来ているというのも、現実だろうと思う。第一次大戦の社会混乱と過去の秩序の崩壊につれて、とくに婦人にとって因習的であった性に関する意識の抑圧が、堪えがたい精神圧迫となった時期、フロイドの方法は、明かに一種の解放手段として役立った。
第二次大戦が火をふきはじめた時、近代人がより深く潜在意識の裡に生きているとして、そのような創作の方法にしたがっていた心理主義の婦人作家ヴァージニア・ウルフが、イギリスで、彼女の住居の近くの川に身を投げて死んだ。六十歳を越していた彼女が、世界よ、さようなら、と書きのこして訣別した「世界」は、潜在意識の世界[#「世界」に傍点]だったろうか。わたしには、そう考えられなかった。
性に関するコンプレックスだけとりあげてみても、それは第二次大戦の時期を通じて、われわれの意識のなかに「コンプレックス」として意識されるものになって来ているし、そのコンプレックスは、ドイツの若い婦人に対してヒトラーの政府が利用したようなものとしてあらせてはならないし、日本軍隊の婦女暴行としてくりかえされてもならないという意識も、明瞭に意識されて来ている。したがって、こんにちフロイドの精神分析をうけつぐ人があるならば、そのひとは、第二次大戦後、性コンプレックスは、その複合体のうちにどれほど多量の経済、政治上の要因をふくんで膨脹して来たか、を見ずにいないであろう。そして、その人も、おそらくは、わたしたちの常識がそうみとめているように、コンプレックスについて語るとき、フロイド流に性意識の圧迫にだけ重点をおくことは、現実におくれていることを発見す
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