ものがごく先へ行った女性の解放論であるにしろ、それをかく最中、家の雑用に頻々と煩わされるのはやりきれなく、妻なり誰なり女手が仕事をやれる空気をつくるために求められる。
家屋の仕事だから、所謂《いわゆる》家庭的な空気が負担で、家長的、父的位置と芸術家の心の自在な動きが撞着して、一層の孤立のため旅へ出るとして、やはり家をちゃんとしてくれる女が必要であろう。
文学の仕事と文学を職業とするということの間に矛盾があってはならないわけであるけれども、いつしか文学を職業とする方へ主軸が傾きがちで、職業的労作の単純化、統一化、能率化のためには、真の文学精神が回避出来ない筈の両性の波瀾をも、わが家の中では御免という余分に馴らされる点がなくはならないのだと思う。その感情のなかから表現されるときには文学的な構想を与えられて、女の幸福とか人生のより高い姿とかに於て描き出されて来る。一面では常識の先を行っている人々のように思われているだけに、作家・評論家たちが女の中に時々めざめて来るものをなだめている力は、本人やひとが想像しているより大きくつよいのではないだろうか。[#地付き]〔一九四〇年十月〕
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