つの国内戦に啄をはさんだ外国軍隊の活動は描かれていない。南北戦争を機会としてイギリスが介入しようとしたが、それは国際法で侵略として禁じるところであった。
日本の人々の頭の上におしかぶさって来ていた戦争の危機に対する恐怖と神経緊張は、六月二十五日に破られたのだが、それとともに、世界平和に対してきわめて日本人らしい[#「日本人らしい」に傍点]態度があらわれた。先ず、日本でないところに、戦さがはじまったということで、一つの安堵を得た人々が少くない。つづいて、第二には、こういう風に、実際たたかいがはじまったからには、あんまり平和について理屈っぽいことなど語らないで、目立たず、少しでも特需景気の恩沢をうけるのが賢いことだ。そういう考えかたである。日本はどうなるのだろう。もう戦争だけは御免だ。いまもそう思っている心にかわりはないけれども、日々の現実で、益々切実に平和が要求され、いよいよ迫った真剣さで、平和のために全日本が行動しようとする意欲は示さないのである。日本の人民の心理にある軍国主義の残滓は、まだまだ戦争を人類的犯罪としてじかに感じるよりも、こんにちのところでは、世界の賭《かけ》として見る
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