女性の前にひらいているのは、何かの形での売笑的職業でしかない、とさえ云える。どの新聞の広告欄にでものっている婦人の求人欄を一瞥すればよくわかる。そして働く能力と意志のある男たちは、これも、日本のよりやすい賃銀で「使用」しうる産業予備軍として、ある歴史の段階に到るまでは労働者階級の負担とならないわけにはゆかなくさせられている。
一九四九年まで、日本の民主化は、日本の独立と自由と平和について語った。敗戦日本の社会悪に対しても、すべての人々が市民として共通の責任感をもつべきだという常識の方向を辿って来た。ところが一九五〇年にはいってから、朝鮮でのたたかいが着々準備されて六月二十五日に、国内戦がおこされた。それと同時に、日本内部にひそんでいた根づよい軍国主義は公然と動き出した。財界の特需景気と警察予備隊景気、戦争気分をそそるレッド・パージとそれに対蹠する戦犯一万九百人の解放。われわれ日本の人民は、事実をどう語っていいのか、不安におかれはじめた。
平和の問題こそ、いまの日本の運命にとって、中心課題である。みんなには、それがわかっている。なぜなら、日本の人民八千万人こそ、アジアにおける従順な戦争の人的資源として数えられているのだから。しかし日本の人民自身は、世界に向って戦争放棄を声明した。自分たちがまた再び外からの強権によって、死ぬる場所に追い立てられることは欲していない。愛するものを死なせる女たちではあるまいとしている。アジアの敵であり、日本人民の生命を売るものとして行動したいと思ってはいないのである。数百万人の戦争未亡人たちのこんにちの生活と、孤児たち、浮浪者たちのこんにち。都内の子供の生活は、そういう日本人民の破滅に蝕ばまれていて、風《ふう》がわるいからと、自分の貰った子たちは学習院に入れる文学者たちは、その学校の土堤の中に、日本人民の独立や自由や平和がよもやあり得るとは信じていまい。
朝鮮の国内戦は、急速に日本における平和の欲求とその発言・行動を抑制する方向に利用された。朝鮮にいる朝鮮人の間にたたかわれるたたかいは、アメリカでかつて行われた国内戦――南北戦争と同じ、その国の人々同士のたたかいである。日本でベスト・セラーズの一つとなっているミッチェルの「風とともに去りぬ」は、南北戦争を南部の側からよく描き出しているが、その中のどこにも、南北戦争というアメリカの一つの国内戦に啄をはさんだ外国軍隊の活動は描かれていない。南北戦争を機会としてイギリスが介入しようとしたが、それは国際法で侵略として禁じるところであった。
日本の人々の頭の上におしかぶさって来ていた戦争の危機に対する恐怖と神経緊張は、六月二十五日に破られたのだが、それとともに、世界平和に対してきわめて日本人らしい[#「日本人らしい」に傍点]態度があらわれた。先ず、日本でないところに、戦さがはじまったということで、一つの安堵を得た人々が少くない。つづいて、第二には、こういう風に、実際たたかいがはじまったからには、あんまり平和について理屈っぽいことなど語らないで、目立たず、少しでも特需景気の恩沢をうけるのが賢いことだ。そういう考えかたである。日本はどうなるのだろう。もう戦争だけは御免だ。いまもそう思っている心にかわりはないけれども、日々の現実で、益々切実に平和が要求され、いよいよ迫った真剣さで、平和のために全日本が行動しようとする意欲は示さないのである。日本の人民の心理にある軍国主義の残滓は、まだまだ戦争を人類的犯罪としてじかに感じるよりも、こんにちのところでは、世界の賭《かけ》として見る傾向がつよい。傍観しているつもりのその賭けの、最も直接の賭けものは、日本の人民自身たちであることをそれが事実であるよりもぼんやりとしか理解していないままに。――
きょうでも、世界は平和を求めているのだ。わたしたちは、このことを決して忘れてはならない。わたしたちが飢じく寒いからと言って、一部の人間だけは飽食して、他の大多数の人間に食物のない社会状態を、まともなものとして、肯定するひとがあるだろうか、火事がこんなに多い日本だからと言って、消火と防火の意味を否定するひとがあるだろうか。
平和に関してばかりは、どうしてか多くの人が、どこかに絶えず戦争があるのが地球の現実だのに、平和を言うのは観念的であり、非現実だというのだろうか。日本では、一九四五年八月からのち、一九四九年いっぱい、平和を支持して公然と語っていた人々が、一九五〇年にはいってから、六月二十五日朝鮮でのたたかいがひきおこされてから、自分が日本人として戦争に反対し、平和を欲しているものであることをはっきりさせる人が目立って減った。そして、いまなお世界平和を語り、そのために努力をつづけようとしている者は、こんにちの世界で最もおく
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