に傍点]がいつ平和の保護を求め、それは可能であろうかというようなおろかな平和論をもっていただろう。日本だけ[#「日本だけ」に傍点]が、戦争を拒否しているのではなくて、世界各国数十億の人民が平和をもとめている、という重大な現実[#「現実」に傍点]を作者は忘れている。国際平和会議と各国の平和を守る会は、日本にも連繋をもっている。原子兵器反対のアッピールは、世界の人民の良心にとって現実[#「現実」に傍点]の問題なのである。それは観念ではなくて、こんにちの世界人民の実行となっている。空想[#「空想」に傍点]ではなくて、きわめてつよく表示されている歴史的意志である。アジアにおいて、限りない権限をゆだねられている一人の老将軍が、朝鮮の戦線に原子兵器を使用するかしないかを決定するという世紀の絶壁に立たされたとき、彼にノーと言わせる支柱となり、彼を彼の属す国家の人民からさえも世紀の戦争犯罪人とされることから救ったのは、朝鮮はもとより世界と日本とにある、現実的な平和への意志である。平和に対するこのようなおそろしいほど具体的な現実[#「現実」に傍点]を、石川達三という作家が見おとしている現実[#「現実」に傍点]こそ、あまりに架空的ではないだろうか。八紘一宇の思想を否定することにからめて、日本の人民男女の良心に立つ実際の行為を、浅薄な夢とすることは、決してあたっていないし、善意的でもない。こんにちでは、八紘一宇という言葉をひきあいとして平和への人民の意志をけなすそのことが、一九五〇年代の日本の変質した八紘一宇の姿である。
わたしたち婦人のすべてのよい意志、愛らしい希望、聰明な奮闘、愛のいそしみは、一つの原爆のもとに、とびちらされるのだ。婦人のもっているあらゆる実行の能力、心情と理性をつくして、きょうの歴史の頁の上に平和をもたらすためにたたかってこそ、わたしたちの生命そのもの、愛するものの生命そのものの、人間の可能がまもられてゆくのである。[#地付き]〔一九五〇年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
1952(昭和27)年1月発行
初出:「現代女性十二講」ナウカ社
1950(昭和25)年12月発行
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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