Hさんに良い女《ヒト》を世話して御あげなさいよ、そいでなくっちゃあ」
「そう思ってこないだも云って見たんだけれ共いやだと云ってききゃあしないんだもの、思ってる人でもあるんだよきっと……」
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 千世子はそれをきいてしかめっつらをして首をふった。
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「ねえ、御前信夫さんねえ、あの人のところから又先みたいな手紙をよこしたんだよ。どうしたんだろうねえ、あんまりあとさきを考えない仕様だねえ……」
「そんな手紙を書く時にあとさきを考えるんなら始めっからそんな事も思わないんだろうけれ共――ほんとうに私はいやになっちゃう、尼寺へでも行っちまいましょうか」
「そうするといいよほんとうに……」
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 母親は笑ってとり合わなかった。
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「信夫さんなんかってあんな世間知らずなくせに――あんな手紙書く事ばかり知ってる――」
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 千世子は自分が行くたんびにふるえる様な目つきをしてつっかかった様に、
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「千世ちゃん」
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と呼んで見たり赤くなったりするのが思い出されて胸の悪いほどに思われた。
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「貴方が恋をするなんて生意気すぎますよ」
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と今度あったら云ってやろうかと思って人の悪い馬鹿にしきった笑い方をする事もあった。
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「思い切って散切りになって男のなりをしてしまおうかしら」
「アアアア早く年取っちまえばいいとも思うけれ共――」
「若い人でなければうけられない特別な恩沢をうけすぎて私はもうあきあきしてしまった、しずかなところに独りで考えたい事を考えて居たい」
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 千世子の頭の中には時々どっか山の中に逃げて行ってしまいたいほどに思われる事があった。そうして山の中のほったて小屋にしずかに本を読んだり書いたり、木の間を歩いたりする時のうれしさを想う事もあった。
 Hは時の来るのを待つ様に必[#「必」に「(ママ)」の注記]して千世子に先に一度云った様な事は云わないのが千世子には却って考えさせられる様に感じて居た。
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「Hさん、私達は段々はなれられない御友達になって行きますわねえ。
 でも御友達には違いない。
 私達はお互に不幸にならない様にしなくっちゃあいけませんワねえ、そうでしょう」
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 千世子は考える事のやたらに沢山な生活をして居た、そうして考えあまった様にこんな事も云った。
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「私は夢中な恋が出来ないから必[#「必」に「(ママ)」の注記]して恋はしない、私の進んで行く道は一つで沢山だ」
「Hさんが一人で居様と二人で居ようと私に関係はないんだ。
 私は私をやたらに思って男の人達の心を犠牲にしてもっと尊いもっと光のあるものを作って行かなくっちゃあならない様に神様が作って御置きなったんだ!」
「Hさんをむごくしずともいいんだ、あの人が私をそんなに思ってて呉れるって事は真面目に感謝しなくっちゃあならない事に違いない。私はHさんがすきだ、だから私達は恋をするなんて事よりもっとお互に救け合って尊い物を作っていった方がいい」
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 千世子は広い大きな男の様な額でそんな事を考えた。そうして毎日毎日書けるだけ書きよめるだけ読んだ。
 寒い晩であった、Hが来た時千世子はいかにも愉快そうな顔をしてHに云った。
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「Hさん、私はもうこの頃すっかり迷う様な事もいやな思いをしなくっちゃあならない事もなくなっちまったんです……」
「どうして? 貴方に迷う様な事があったんですか?」
「ええ、あったんです、私が斯う云えば貴方には御わかりんなるんですワ。
 ネ、私はこの頃そう思ってるんです。
 私はあたり前の女の様に――又、娘の様に夢中で恋なんかする事は出来ないんです。
 けーども人間同志の恋よりももっと高いところにもっと輝いて私の来るのを手をひろげてまってるものがあるのを見つけたんですワ、私は、――
 その方がもっと生甲斐のある私につり合った生涯を送る事が出来ると云いはる事も出来れば、もっと私の心を満ち満ちた輝きのあるものにして呉れると云えます――恋をする事はどんな女でもしますワ、けれどもどの女でもが高いところにその人の来るのを待って居るものはもってませんワネ、私はそれを信じて又自分を信じて居ます」
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 千世子は少し下を見ながら手を組んで神を見る事の出来たクリスチャンの様なしずかなおだやかな目つきをして云った。
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「――そいで私はどうしたんでしょう、――私は何を見つけたんでしょう――」

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