よんだりしちゃあ、いけませんよ、勉強するんじゃあないんですよ、馬鹿げた様な気持になって遊んで居ればいいんですもの……土曜から日曜にかけてお父さんが行らっしゃるんだろうから私も都合がよかったら上りましょうネ」
「ほんとうにいらっしゃる? でもあてには出来ないこってすワ、二十日ほど貴方の顔に合わせる人がないかも知れませんわネ」
「エエほんとうにネ、今日よりも見違えるほど好いかおの色で二十日立ったら帰っていらっしゃい。キットネ」
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 二人は立ったまんまこんな事を話し合った。
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「Hさんも千世ちゃんも西洋間にいらっしゃいナ? お茶を入れましたから……」
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 母親が大きいこえで云ったんで千世子はHを後から押して西洋間に入った。
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「千世ちゃんお前のハンカチーフが二枚ほか入って居ないから、名の縫いつけてあるのを五六枚出して御出」
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と云われて銀の錠をカチャカチャ云わせて納戸の西洋箪笥の二番目の引き出しをあけた。沢山入って居るハンカチを一つ一つよって居る間に茶色のインクでこまっかく何か書いた青い紙があるのが目についた、それは母親のもつ麻の小さいハンカチの間にはさまって居た。うす笑をしながら好奇心にふるえながら人さし指と拇指との間にはさんでぬき出した。それは四つにたたんで両面に書いてあった。その書かれた字一字を見て自分の所にあててよこした飯田町の信夫からの手紙だと云う事もその書いてある内容も想像する事が出来た。
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「どうしてこんな手紙を書く気になったんだろう?」
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 千世子はこんな事を思って顔色一つ動かせず落ついたおだやかな心でそれを見始めた。
「いかにも恋文らしい恋文」千世子は自分より三つも年上の男がよこしたものでありながら年下の男に思いをかけられる女の様な目つきをしてその文の批評をした。
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「こんな恋文で顔を赤くしたり、涙をこぼしたりするほど私の感情は世間知らずなシムプルなもんじゃあない。私が何にもあてのないものに今恋文を書くとしてもこれよりは感情の表れたものが書かれるけれ共――私が若しあの人の恋人にでもなろうものならきっと失望する結果を起すにきまってる――彼の人の恋人になるには私の頭が荷に勝ちすぎて居る」
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 そう思いながら千世子は「恋を恋して居る時が一番悲しさも嬉しさもすきのないまじりっけのないものになって感じられる」と信夫をさとす様に思った。
 手紙をもとどおりたたんで、先のところにはさんで引き出しをしめるとかるく頭をふって笑いながら西洋間に行った、何にも知らない母が「随分かかったんだネエ」と云ったのにも只笑ったばっかりであった。
 深い椅子によりながら立つ三時間ほど前のおちつかない時間に自分の心をこめてとにかく書いた文を女からこんな気持でよまれると信夫は想像さえすることが出来ないに違いないと、Hの森の様な髪を見ながら思って茶化した笑いさえもらした。
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「私位の年ならこんな文なんかよこされるとまっかになってしまう筈なんだが……」
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 こんな事を思うとフイと道化た気持になってしまった。すっきりした棒縞のお召を着た上に縮緬の羽織を着て、千世子はHと父親と弟とで白山から電車にのった。

        (十一)[#「(十一)」は縦中横]

 電車にゆられながら千世子は何となくHとはなれてしまいたくない様な、一所に一日でも行って見たい様な気持になって居た。車で来る筈の母親を待ち合せて、父親の切符を買うのをジッと見て居た千世子はわけもなくさしぐむ様な気持になった。千世子の一っかたまりはプラットフォームを早足にあるきながら赤帽のとって置いてくれたまんなか頃の二等車に入った。
 からっぽで、千世子等の五人丈ほか乗る人はないらしい様子だった。一番はじっこに座をとった千世子はHが棚の上に手荷物を置いたり、千世子の薬を入れた袋がたおれない様になんかと父親と二人で動いて居るのをしずかに見ながら「Hなんか動かないでジーッと私のかおを見つめて居ればいいのに……」
なんかと思って居た。
 車掌がもう発車に間もございませんと注意して行くと、母達は今更らしく送ってくれた礼やらひまがあったら来る様になどと云って居るのを返事しながら下りて下に立ったHは今まで一寸も気のつかなかった袂から、今までよく「古い方がいいからさがして買いましょうネ」って千世子の云って居た樗牛の五巻を出して、
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「これをおよみになる様に――いいでしょう」
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って千世子の手にもたした。
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