ああしたもかなりあったかそうだから行っちゃあ、送って行ってもあげられるし」
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 父親がこんな事を云い出した。
 二人は何かしきりに話し合って居る内に行く事にまとまったと見えて女中にドレッスケエスを出させるやら、小田原に電話をかけるやらして父親は時間表を見て居た。
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「ちいちゃんもう御ねかえ、あした行くんだってサ、そのつもりで御いで……」
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とまっしろい中にうずまって居る千世子に声をかけた。千世子はひよっこの様に目をパチッとしたっきり返事もしないでザワザワする空気の中にひたって居た。
 Hと一寸も会わずにたとえ十日か二十日の事でも行くと云う事は何だかそれっきり長い間会われないものになってしまいそうな不安がおそって来た。
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「今夜でも来ればいいのに――それでなければあしたの朝早くでも――」
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 こんな事も思って居た。
 青い海とがけの多い箱根を見て単調に暮す海辺の生活を想って見たり、海の面には陽炎が立って居るだろうの朝起きるとすぐむれた足をひやっこい水にひたす時の気持なんかをたのしい気持で思って居た。若い女がだれでも感じる様に旅に出る前夜のわけもわからないワクワクした感じにとらわれて居た。
 その晩は安眠する事が出来ないで早く眼をさました時、母親や女中達はもうコトコトと何かして居た。寝間着のまんま千世子は自分でかたをつけなければならないものに手をつけ始めた。
 すき見されるのを案じる様に千世子は書いたものの入って居る文庫に鍵をかけ、出て居るのを皆本箱にしまって妙にガランとした部屋の中をひっこしをする時の様な目つきをして見て居た。
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「千世ちゃん入れるものはもって来るんだよ、もうすっかり私達の方は出来たんだから……」
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 千世子は斯う云われるともう一週間もかかってきめて置いたものでありながら何となし不安心な気持がしてあっちこっちとせせったあげく、入りもしない書きぬきなんかをつまみぬいてヨチヨチした神経質な目つきをして母親にケースの中につめてもらった。大急ぎで部屋にかけもどっても、何にもする事のない千世子はポカンとあてのない目つきをして庭の何となしほんがりした空気の中に段々と青くなりまさって居る葉の輝きなんかを見ながら、こんないい気候になっても青っしょびれて居る自分の体を周りから段々おしつけられる様に感じて居た。
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「Hが来ればいいのに、――私があっちに行ったまんま死んだらどうするんだろう」
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 千世子は訳もなくこんな事を独言した。
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「私もしあの人の恋人だったら一寸の間でも走って行って会って行くんだろう」
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 こんな事も思った。
 思ってる様な思わない様なとりとめもない様子をして居るといきなり人の足音がしたんであわててふりっかえると後にHが目つめたかおをして立って居た。
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「マア」
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 千世子はもう少しでHにとびつきそうにした。こんな事を思って居た時こんなかおをして居た時Hに来られたと云う事はたまらなく嬉しい事だった。
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「マア、一寸も知らなかった、いつ? ほんとうにマア」
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 こんな事を云って千世子は嬉しい時によくするくせの両手で頬を押えながらHの衿の合せ目を見て居た。
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「そんなにおどろいたんですか? 何の気なしによったら午後からお立ちだってネエ、今日は気分が少しようござんすか?」
「エエ好いにゃあいいんですけど、きのうっから何とはなしに興奮して居るんでかるい目まいが一寸する事がある位、――それに一寸気にして居る事があったんで……」
「何、気にしてる事? まさか日が悪いなんてんじゃあありますまい」
「なんぼなんだって――マアこうなんですの。私がネ、貴方に御目にかからずに今日たってあっちに行っちまいましょう、そうして急に悪くなったっきりになっちゃったり大浪にさらわれてしまったりするときっとどんなにか悲しいだろうと、それに私若しかすると死ぬ時に、
『Hさーん』
 て云いやしないかって……」
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 千世子はそう云って笑った。
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「マア、そんな――でもマアようござんしたネエ、私が手紙あげたらあんたも下さる? ネ」
「そんな事分るもんですか、それにかくれてなんかかいてもしようがありませんし御義理に書くのも私はすきでないんですもの……」
「そんならなるたけ、ね? これからの海辺はようござんすネエ、静かで……あんまりいろんなものを書いたり
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