れたりして居た。
 丁度女王が沢山の朝臣を謁見するその時だけ一人一人の名前で思い出す様に千世子に一寸でも考えさせたり忘られない様にする人なんかはただの一人もなく千世子を中心に遠くに輪を描いて廻って居るばっかりであった。中でたった三人千世子のごくそばに輪を描いて居る人達で、飯田町の信夫、従兄の源さん、工学士のH、そんな人達がある。
 信夫はまだほんとうに若い世間知らずなお坊ちゃんで、二親に死に別れて千世子の叔父にあたる家に世話になって居る。二十一寸前の、そういう年頃に有勝な癖で、やたらに恋を恋して居る人だと云うのを千世子は知っていた。
 まだ臆病な世間馴れない若い男が一番手近だと云う事と、一寸並の女と変って居ると云う事ばかりで自分に対して恋の真似事の様な事をしかけて居ると云う事を千世子は読みすぎるほどよんで、「恋を恋して居るうちがいいんだ!」位に思いながらもふるえる様な瞳や下らない事に顔を赤らめたりするのを見ると、いかにもととのわないみっともない物の様に思えた。
 真面目な常識に富んだ源さんは千世子の従兄でありながら変なほど千世子を大切に思ってて、
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「体を大切にしろ、勉強しろ」
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 千世子がききあきてしかめっつらをするほど云うのもこの人であった。
 源さんは自分の導いて行かなくっちゃあならない様なこの女に、心の奥の奥にひそんで居る感情は出来るだけはかくして居ながらも、いつの間にか千世子には知られて居た。工学士のHは苦労した事がその世なれた人をそらさない口つきでわかるほどの人であった。
 おととし学校を出てすぐ外国に行って病気で帰って来て、今は保養がてら家でしなければならない事だけをして居る、三十きっちり位の神経質な体の弱い、白い立派な額と大変に濃い優しげな髪をもって居る。
 Hに特別な同情と気持を千世子は持って居た。他人の話をきいて自分はだまって居る事の多い、話をする時にはいつでも丸いふくらみのある声でし、声楽のかなり出来るHは、千世子の一家から頭のすぐれた母親の気のおけない話し相手、千世子にはかなりいろんな事を教えて呉れる人として、大抵の人にはすきがられて居た。Hがこの家庭に出入し始めたのは二年前の夏頃から父親のいそがしい仕事を手伝ってもらう様になってからで、その年の冬になると、
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「始めてお目に
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