すまいネエ」
「それもわかりませんワ、大抵はありますまい、そんな事はあんまり約束しちゃわない方がいいんですワ」
「私はそいじゃあ一人で約束しましょう、きっと貴方と仲が悪くなりませんどんな事があっても……」
[#ここで字下げ終わり]
 Hは斯う云って小さな十字を額のところに切った。
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「私貴方がすきですワ、だから若し貴方が健《すこやか》でいらっしゃる時に私が死ぬ様だったら呼んであげましょう、貴方の死ぬ時も行ってあげましょう。でもいざとなった時貴方は御ふるえになるでしょうネエ、キット」
「エエ、私は死ぬ事を恐れてるんです、神様から下さる人が目の前に現れるまでは……」
「現れると一緒に頓死して御しまいなさる?」
「そんなに茶化すもんじゃあありませんよ、私の真面目で云って居る事はネエ」
「じゃあ私は貴方の、貴方は私の運命をお互に見合ってるんですの? いやな事ってすねエ」
「…………」
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 千世子はHの考えて居る事がよくわかって居るのに知らないふりをして居るのや、いやに高くとまった自分の心を心の十分の一にもならない言葉で云うって云う事がいやになって来た。頭がごっじゃごじゃになってしまって椅子のせなかによっかかった。頭がぽっぽっとして来て体が宙にういて行く様になった。
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「今日は悪い時候なんでしょうか、私頭の工合が大変妙になって来ました」
「私のした話の皮肉を云っていらっしゃるんでしょう」
「そんな気じゃあないんです。頭を押えて御らんなさい、熱くなってましょう、ほんとうの事なんですもの」
「そうですか、どうしたんでしょう」
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 Hはしずかに部屋の中を歩き廻った。
 時にかるい小さなせきばらいをしたり、とまって見ては千世子のなやましそうに又我ままそうな様子をして居るのを見た。
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「貴方って方は何でもあけっぱなしに云わない方ですネエ、娘の様に――」
[#ここで字下げ終わり]
 千世子は胸のところにこみあげて来るかたまりをおし下しおし下しして云った。
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「エエそう云う風にしなくっちゃあならないから……」
[#ここで字下げ終わり]
 千世子の前に立ったHは千世子が涙をこぼして居るのを見た、Hの自分の目からもわけもなく涙がこぼれそうになった。
[#ここか
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