ちゃあ行かれますまい、きっと。つれてってあげましょうか?」
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 返事をしながら千世子はまだ美くしいこの花を入れてHのところに便りしてやろうと思って居た。
 その日も又考え深くない何の思い出す事も思う事もしないで暮してしまった。
 その晩は暗で星ばっかりが出て居た。
 漁があったと見えて磯はかがりと人いきれとでポッポッと燃えて赤いかがやきは波にゆられて向うの陸に住んで居る人にしらせに行く様に動いて居た。ほらの貝をふく音は千世子の心をどっかにひっぱって行きそうだった。
 母親と並んでその上気する様な光りを見て居た千世子は、何だか限りない悲しさを抱いて一人で都をにげてこんなところに来て居る様にそのほらの声で思わされてしまった。
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「よっぽど漁があると見えるネエ」
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と云って居る母親の横顔を珍らしいものの様に見ながらHの声の丸さが心の中に湧き上って居た。
 いかにもこんなところの筆らしいガチガチになった筆の先をかんでふだんよりぎこっちない字でHのところへ手紙を書き始めた。書き出しが気に入らないとよくっても悪くってもそのかみを破らないじゃあ気のすまないくせのある千世子は幾度も幾度も紙反古を作ってはあてもない方へなげつけて居た。
 そうしてようやっと書きあげてよみ返したときにはそんなに気に入った手紙じゃあなかったけれ共母親が来てこのわきに何かそえ書きをするかさもなくば千世子の名のわきに自分の名をかくまでまって居た。下で主婦とここいらの地価の話をして居た母親は笑いながら下から上って来た。
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「おや何を書いたんだえ」
「Hさんのところへ――阿母さんよんで見て何か御書きんならなくっちゃあならないんなら書いて下さいナ花のしぼまない内に出したいんだから……」
「Hさんとこへなんか手紙なんか出さずともいいじゃあないかわけもないのに――それに先達ってこっちに来るとすぐ葉書を出したのにうんともすんとも云って来やしないじゃあないか、だものそんなにしずとも……」
「何にも返事が欲しくて書くんじゃあありませんわ、書きたくなったから書いたまでの事なんですもの」
「一体男なんかに手紙をやるなんて事は不賛成なのさ」
「ちゃんと書いたものはお見せするしそうして出すんなら何にもわるい事じゃないじゃあありませんか、御まけ
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