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 ええいらっしゃったんでございますよ八時頃に。
 お留守だって申上たら随分がっかりした様に御玄関にかなり立って居らしったんでございますからほんとに御気の毒でございましたよ。
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 千世子は渋い渋い顔をした。
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 まあそうだったのかえ。
 すまなかった。
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と云ったっきりのろい手つきで着物を着換えたりした。
 帯の「しわ」をのしながら女中は京子が旅へ出かけるらしい事を云って居たなどとも云った。
 翌日朝早く京子の家へ「今日は一日居るから」と云ってやった。
 午後ももう日暮方になって京子は重そうな銀杏返しに縞の着物を着て手が目立って大きく見える様な形恰《かっこう》をして来た。
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 随分待って居たんだけれど昨夜《ゆうべ》だけはどうしたんだか出掛けた処へ貴方が来たんだもの。
 悪うござんしたねえ。
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 京子の千世子よりずっと大きい躰を見て云った。
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「いいえ、何んとも思ってやしない。
 でもお留守だって云われたら変になったの。
 どうだった事? あすこ。
「私の事なんかより早くあっちで何をしてたんだか御話しなさいよ。
 ほんとうにまあそんな見っともない処でどうして居るんだろうとよく思って居たんです。
 でもまる一月ですもの。
 よく辛棒《しんぼう》した。
「何をするしないもあるもんですか。
 あんな処に貴方が私位居たらほんとにどんなだろう、話すのさえいやだ。
 それよりか私あさって[#「あさって」に傍点]っから西の方へ旅に出かけなけりゃあならないの。
「どうしてそんなに急に?
「何故だか知らないけどそうなったんだもの。
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 京子は伯父と一緒で一月ほどの予定である事や只遊ぶのが目的だと云った。
 先から思って居る事だから嬉しいとか何か好い事が自分を待って居る様な気がするとも云った。
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「貴方は遊びに出かける方だから好い様なものの、私は一人ぼっちでお留守番だ!
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 あんまりいそいそして居るのが不愉快な様でなげやりな口調で千世子はそう云ってかたい笑方をした。
 帰って来てから相談する事があるとか考えてもらいたい事があるとか云って、
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「いくら私の前から望んで居た事でもこだわりのある気持で行くんだから、
 嬉しさの半分はいやな相談から抜けられると云う事なんだもの。
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 いかにも思いあまった事が有る様に云うとすぐ千世子は聞いて仕舞たかった。
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「何なんです?
 何を考えてもらい事[#「い事」に「(ママ)」の注記]があるの。
「帰って来てから好いんですの。
 そうさし迫った事でもないしするんだから。
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 煮え切らない口調で話した。
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「でもね、
 私はほんとうに真面目に考えなければならない事なの、
 その事を考えると先ぐ感情が先に立つ、それを鎮めて冷静にして居なければいけないんだから――
 やっぱり私一人では困る――
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 不断あんまり物にこだわらない京子が今度ばっかりこんなにして居るのを思って大よそこんな事だろう位に京子の身に湧き上った事件を想像した千世子は今その事について考えなければならないほどにまで話《はなし》に深入するのをいやがった。
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「そんならそれは貴方が帰ってからにして。
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 千世子は、こぼれそうな体《からだ》の処々《ところどころ》を細いのや太《ふと》いやの紐でくくって居る様な京子の体を時々ジロジロ見ながら、自分の今書こうとして居る筋を話して聞かせたり一寸した有りふれた話をした。
 京都へ行ってからの事ばっかりを云って居る京子は、鴈次郎の紙治が見られるとか、純粋な京言葉を習って来るとか、いつもにないはでな口調で話した。
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「京都に貴方の体はつり合わない。
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 むくむくしてかたい腕や、黒い手先をこすったりした。
 これからざあっと一月又会わなくなると云う事等は一寸も悲しい事にも淋しい事にも思えなかった。
 新らしい書[#「書」に「(ママ)」の注記]み物を二冊ほど持って京子はせっついて帰った。
 立つ日も聞こうとしなかったし御大事に行らっしゃいなんかとも云おうともしなかった。
 ましてステーションまででも送ろうなどとは夢にさえ思わなかった。
 只旅に出る事ばっかりをそわそわして嬉しがって居るのが千世子にはたまらなく気にさわった。
 けれ共翌日になるとこのまんま一日も会わないのはいかにも物足りなく
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