べ》っからのせっぱなしにして置いた短っかい一寸した感想の様なものを真面目に肇は見て居た。
千世子はホッと顔が熱い様になった。
けれ共すぐ元に戻った青白い顔を真正面に向けてうつ向いて読んで居る肇の顔を珍らしいものの様に見た。
丁度うっとりと眠ってでも居るかと思われるほど長い黒い「まつ毛」がジイッとして、うすい原稿紙《かみ》を持って居る細やかな指もぴりっともしない。
こんなに静かで居て火花を散らして働いて居る頭の裡《なか》を想《おも》うと空《そら》おそろしい様な気もした。
ややしばらくたって肇がそれをテーブルの上に置いた時思いがけなく自分を見て居た千世子をチラット見て子供がする様な笑い方をした。
誘われた様に千世子もだまって微笑んだ。
千世子の頭には無断《むだん》で自分の書いたものを読まれた事に対して何か云わなければならない様な気持が満ち満ちて居た。
けれ共はにかみ屋の小娘の様に口に出しては何事も云わなかった、そして母親と三人で一番近くにあった芝居の話や新らしい書籍の話やらを開けっ放した気持ちでして居た。
かなり名の聞えて居る小説家の裡で千世子はどんなにしてもただ訳《らち》もなく嫌いな人の噂や「何子氏」と自分の旦那様から呼ばれるその奥さんの事も散々頭ごなしにした。
文学に携《たず》さわって居る女の人の裡には随分下らない只一種の好奇心や何となし好きだ位でやって居る人だってある。
満足する様な人は一人だって無い。
少し婦人雑誌で名が売れると一つ二つ著作してもう文士気取りでカフェーをほっつき廻る。
文士と云う名から気に入らないしその裡にゴチャゴチャになってホイホイして居る女の人達ももう一層嫌いだ。
千世子は亢奮した口調でこんな事を云った。
話した後で黙って聞いて居る母親と肇の顔を見るとあんまり云い過ぎたと云う様な気持になって取っつけた様に笑った。
そして、斯うやっていく分かはお調子に乗って話し込んだ自分の頭のなかみをすっかり肇に見すかされた様ないやな気がした。
それでも肇は千世子の云った事に賛成した。
男の人達の裡にだってそう云う人はいくらでもある。
よっかかりのあるうちは華に小鳥の様にさわぎ廻って居た文学ずきの人達がその頼りを失って世の中に投げ出された時、自分の持って居た自信よりも値《ねうち》のない自分の頭がドシーン、ドシーン、とぶつかって来る大浪を乗り切れないでその浪の中にのまれて姿の見えなくなる人が自分の友達の裡に数知れず有る、私もそうほかなれない人間かも知れない、でもやるだけはやって見る、若しそうなったらそれは私の運命なんだから。
眼先にちらつく物を追いはらう様な顔をしながら肇は低い声で云った。
幼い時っから不幸な目にばっかり会って来た自分はこれから何か仕様と云う希望はあってもいつでも何とも知れずそれに手をつけると善くない事が起って来そうに思われていけない。
物事をするのにあんまり考え深すぎる、いくじなしな人間の様に見える事がある。
自分の淋しい過去を思い出した様に涙組んだ様になった肇の大きな眼を見ると、兄弟がなくとつられて泣く赤坊か何かの様に千世子も淋しいうるんだ気持になってこの先にだけは幸福にあらせたいなんかと思ったけれ共その影のうすい様に細い体や愁の絶えない様な声を聞くと肇の体が世の中から去るまで悲しい影がつきまとって居る様に見えた。
千世子はこれから草を刈ったり耕したりしなければならない畑地が苗を下すに合うか合わないか分らない様につくつくとのびて行くか、根ざしさえ仕ずに枯れて仕舞うんだか分りもしない事でありながら肇についてそんな事の思われたのはいかにもいやだった。
自分の一度でも口をきいた人達は皆幸福であって欲しいと自分の身の幸福なお陰《かげ》で千世子はいつまでもそう思って居るのが天《てん》からぶちこわされて仕舞った様な気がした。
どうしても幸福であらせたい。
千世子は仲の善い同胞《きょうだい》の様な又|慈深《なさけぶか》い母親が子を思う様にしみじみとそう思った。
肇が帰って仕舞ってからも母親に、
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お前はどうしたの。
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と云われるまで肇は何となし不幸らしい人だと云う様な事を幾度も幾度もくり返して話した。
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早死にでも仕そうだ。
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フット寝しなにそう思った千世子は若し彼の人の命の燃木が自分の手の届く処にあったら先[#「先」に「(ママ)」の注記]ぐ揉み消してしまいたく思われた。
(三)[#「(三)」は縦中横]
もう十年ほど前に亡《な》くなった大伯父の一人っ子に男《おとこ》の子がある、十八で信二《しんじ》って云う。
大伯父が純宗教家でそう華々しい生活もして居な
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