思うと京子が自分の傍に座って居るのが何とはなしに「やっかい」ものがある様に思えて来た。
 わきの時計を見上げて千世子は横目に京子の方を見ながら、
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「ああああ、もう十時半になっちゃった。
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とつぶやく様に云った。
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「ほんとうにねえ。
 もう帰ろう、あしたまた八時っから小石川へ行かなけりゃあならないんだもの。
 今の仕事が片づくと当分は自由で居られる。
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 京子は立ちあがって「おはしょり」をなおしながらこれから家に帰ってねるまでの事を話したりした。
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「どうしたって十二時だもの。
 それで六時がなれば起きるんだから寝不足で黄色な顔をして居なけりゃあならないのは無理もない。
「それじゃあ日本人の先祖はよっぽど寝不足ばっかりしつづけたものと見える。
 貧亡[#「亡」に「(ママ)」の注記]ひまなしで――
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 こんな事を云って笑いながら千世子は京子にかす本を抱えながら送って行くつもりで一緒に門を出た。
 外は星夜の深い闇がいっぱいに拡がってどっかで下手な浪花節をうなって居るのが聞えて来た。
 千世子の草履の音と京子の日和のいきな響が入りまじっていかにも女が歩くらしい音をたて時々思い出した様に又ははじけた様に笑う声が桜の梢に消えて行った。
 京子のつつましやかな門の前に来た時千世子はいかにもとっつけた様に、ポックリ頭を下げて、
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 左様なら
 今度、暇があったら又ね、
 一人で帰るのがいやだ!
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と云うとすぐ京子が何か云ったのを後にきいて大股にスッスッと歩いた。
 少し行って後を振返った時京子がまだ立って居るのを見て前よりも一層速足に歩き出した。
 広い屋敷町の道の両端にひそんで居る闇がどうっと押しよせて来る様に感じ三間ほどの長さに四尺ほどの高さにつまれて居る「じゃり」は瓦斯の光でひやっこく光って闇におぼれて死んだ人の塚の様に見えて居た。追われる様にして家に帰って机の前に座った時その上に葉書と手紙がのって居るのを見つけた。
 叔母からよこした手紙にはこの次の日曜に御馳走をしてやるから来いと云うだけの用にいろいろのお飾りをつけてくどくどと巻紙半本も書いたかと思うほど長く書いてあった。
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 よっぽどの時間と根気がなけりゃあ。
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 千世子は叔母のひらったい顔と小っぽけな額を思い出した。
 そしていかにも感謝の念にあふれた様な返事を書いて心の中に朗読しながら何とはなしの可笑しさに笑って居た。
 葉書は、友達からカナリーが雛を育てたからあげようと云ってよこした。
 育てるのは若しかすると楽しみかもしれないけれど、病気になった時やそのほかの面倒くさい事を考えるともらう気もしなかった。
 千世子は床に入ってからも中々ねつかれなかった。
 子供の時から幾人も変った友達の事を思い出したりして自分一人はなれたものの様にも思った。
 自分一人多くの人の群からはなれたと云うのも必[#「必」に「(ママ)」の注記]して不愉快なはなれ方ではなかった。
 小さい時分からあくせくして友達を求め様としなかった千世子は今もあんまり沢山な友達を持っては居なかった。
 頭の友達、
 形の友達、
 千世子は友達を斯う二つに分けて居る。
 頭の友達――それは千世子の満足するだけの人は今だに得られないものであった。
 形の友達でもそうだ。
 御親友、とかりにも名づくべきものは一人も持って居なかった。
 自分でも又そうである事を千世子は幸だと思って居た。笑いながら御親友になっても笑って別れる御親友はありゃあしない、と云う事を千世子は深く信じて居た。又そう云う経験も沢山持って居た。
 親友のないために不都合な時より都合の好い場合の方が多かった。
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 貴方の一番御親しくなすっていらっしゃるのは?
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 よく人はこんな事をきく。
 そのたんびに千世子はだまって笑いながら沢山の本に目を注いで居た。
 近頃余計にそう云う気持になって居る千世子はその晩も京子の事を考えながらうす暗い燈の下でまたたく本の金色のかがやきやしずかにただよって居る紙の香りをしみじみと嗅いだ。
 そうして自分でも喜んで居る大きな額が一層大きく――高くなった様に感じて居た。
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 まあ、何にしても丈夫にならなけりゃあ。
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 千世子は今月が去年も頭を悪くした月だと思って深い呼息を一度すると何も彼もほっぽり出した様な顔をして眼をふさいだ。
 縁の下でいつの間にか鳴き出した虫がジージー、ひつっこく千世子が寝つくまで鳴きつ
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