見ながらきいた。
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「影っ坊師を見て居るんですよ隣りの女中の。
 影っ坊師って何だか妙に思わせ振りなもんですねえ。
「女中の?
 私はねよくそう思いますよ、
 女中ってものは私達と同じ女でありながらまるで特別なものとして神から授かった頭を持ってるってね、面白い研究ですよ、その心理をしらべるのは。
 女の見た女中と云うものはほんとうに妙なものに写ります。
 きっと男の人なんかにはわかりますまいよ」
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 篤は窓から目をはなして考え深い様に一つ処を見て居る千世子の顔を見た。
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「そうですかねえ。
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 篤は云った。
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「私なんか女中に接する場合が少ないせいかそんなに知りません。
 それに又知ろうとした事もありませんからねえ」
「生理的にも精神的にも違います。
 特別な点に気がついてねえ、
 奉公人根性をどうしたって無くさせる事は出来ませんよ、
 長く奉公をすればするほど気持の悪くなる御追従と謙遜と憎らしい図々しさばかり大抵はふえるもんです。
 平気で自分の躰をさいなんで笑う様になりますよ、恐ろしい様にねえ。
「いやなもんだ。
 でもそう云う事のあるのは何とない痛ましい事ですねえ。
 頭もなく形もととのわず才もない様に育った女が自立しようとすれば一番雑作ないのは女中ですからねえ、やっぱり」
「そうなんですよ。
 例えば何か悪い事をしましょう、
 頭の足りないせいだと思って同情してそうぎすぎすも云わずに置けばすぐ図にのって来ます、
 あたり前だって云う様な顔をしてね」
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 千世子は一寸話を止めた。
 そしてかなりの間口を開かなかった。
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「どうしたんです?
 気分が悪いんですか。
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 篤は千世子の顔をのぞき込みながらきいた。
 小さい子供のする様に千世子は首を横に振った。
 しばらくしてから静かに落ついた声で云った。
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「何でもないんです。
 けれどもね、今まで、あんまり下らない話をして居たのに気がついてね、
 何だか馬鹿らしくなった」
「してしまった話をどうする事も出来ないじゃあありませんか」
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 篤は大きな声で話しながら笑った。
 千世子にはほんとうの真面目な言葉としてそれが響いた。
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「ほんとうですねえ。
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 そう云いながらも千世子は考える様な目つきをして居た。
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「ほんとうにそうだ!」
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 つぶやく様に云った千世子の心の底に重いものが産れて来た。
 よろける様にして行ってピアノのふたをあけた。
 そしてたったままシューベルトの子守唄を弾いた。
 しとやかにゆるい諧調は千世子の心をふんわりと抱えて揺籃の裡に居る様な気持にした。
 篤はしずかに歌をつけた。
 低いゆーらりゆーらりとした歌に千世子は涙をさそわれる様な心に柔さが出て来た。
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 ほんとうに好い曲ですね。
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 千世子は幾度も幾度も、繰返し繰返して「ふた」をしながら後に居る篤に云った。
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 ああ、貴方に不思議な気持のする音をきかせてあげましょう。
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 した蓋をわざわざ開けて千世子は篤の方を見ながらCD[#「D」に「(ママ)」の注記]の音を一度に出した。
 完全四度の音程のその音は三角派の絵の様に奇怪なそしてどっかに心安い安らかな思いのこもった響でその余韻には鋭い皮肉がふくまれていかにも官能的な音であった。
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「ねえ、ワイルドの作品の様な――
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 音をききすます様な目をして千世子は云った。
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「幾分かはそう思いますけど――
 それほどに感じませんよ。
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 千世子は篤の答にがっかりした様に首を振って静かに蓋を閉じた。
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「貴方、割合に鈍いんですねえ、
 いけないじゃありませんか、そんなじゃあ。
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 わざとらしい笑い様をして千世子はとっぴょうしもないそっぽうを見て居た。
 千世子は腰掛様ともしないで部屋のあっちこっちと歩きまわった。
 茶っぽい帯の傍からうす色の帯上げが少しのぞいて白い足袋に蹴り上げられる絹の裾が陰の多い襞を作るのを篤は静かに見て居た。
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 貴方随分|暢気《のんき》らしい方だ。
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 千世子は向うの隅から両手を組合わせてズーッと下にのばしてこっちに歩きながら云った。
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