さ、これを持って帰ってすっかり書きこんでもらっといで」
ナースチャは、きき間違え、また赤くなった。
「わたし、書けません」
「お前さんは主人じゃないだろう」
タバコの煙をふっと口のすみからふきながら、陽気に云って、笑った。
「ごらん、すっかりこの項目に、主人の名、職業、お前さんの名、パスポルトの番号、月給、働く条件、休日まで書きこんでもらって、それから組合に入るんだ、わかったろう?」
「ありがとう」
「主人が書いてくれたら、住宅管理人に裏書きしてもらって、またここへおいで」
ナースチャが、紙を手にもって立ちかけた時、女がきいた。
「クラブへ行ったのかい、お前さん」
「いいえ」
「誰にこのメストコムをきいた?」
「リザ・セミョンノヴナが教えました」
椅子の背にタバコを持った手を廻してかけ、女は立っているナースチャを見上げた。
「誰だい……それは」
「家にいる|お嬢さん《バーリシュニャー》です」
「ふむ……よしよし」
「さよなら」
女はうなずいて、こむら[#「こむら」に傍点]で椅子を押しながら自分の場所から立ち上った。
凍って白い並木道《ブリワール》では大勢の子供がスキーで遊
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