んだから」
「ばかなナースチャ、おかっぱにしないのなんか禿げ頭の爺さんか豚だけよ――ごらん、わたしだってよく似合ってるじゃないの」
ナースチャは、感嘆して、紫苑色のリザ・セミョンノヴナのすらりとしたスウェーター姿を眺めた。
「わたしだってあなたみたいな髪さえあれば……こんな黒い髪! あきあきしちゃう」
「ホウ、ホウ、ホウ」
肩をすぼめ、唇を丸め、ホークで器用に小鍋をひっかけながら、
「そら出来た」
リザ・セミョンノヴナはガスを消す。
「寝る? ナースチャ」
ナースチャはもっといろいろのことをしゃべりたい。その心持をあらわす暇のないうちに、
「じゃおやすみ、ありがとうよ、ナースチャ」
リザ・セミョンノヴナは裾の端を台所の戸がしめこみそうにひらり、小鍋を持って自分の室に行ってしまうのであった。
ナースチャがお休みなさいと云う間もなかった。
彼女は台所の隅の四本柱の腰かけの上で、両手を膝の間にはさみ、体を前や後に振りながら周囲の物音をききすます。廊下のあちらでリザ・セミョンノヴナの戸が閉った。食堂からこもった笑声が響いた。食堂の入口に厚いカーテンが下っているからあんなに遠く聞えるのだ。アンナ・リヴォーヴナ夫婦と夫婦づれの客が、カルタをやっていた。ナースチャがずっとさっきコーヒーを持って行ったら、アンナ・リヴォーヴナはカルタを手のなかで一心にそろえながら、
「お砂糖もいるよ」
と云った。主人のパーヴェル・パヴロヴィッチがその前に台所へ顔を出して、
「ナースチャ、コーヒーおくれ、苦くしちゃいかんぜ」
と云って直ぐ引っこんだ。夜の間にナースチャにかけられた言葉のそれが全部である。
膝の間にはさんでいた片方の手をのばして、ナースチャはかたわらの棚の下をさぐった。いろんな紙屑のなかから、手当り次第に引っぱり出してみると、パーヴェル・パヴロヴィッチが役所から持って来た製図の切れ端であった。もう一遍やって見ると、新聞が出た。ナースチャは太い活字をひろって読んだ。パホード・プロチフ・エストラノドノイ・ハルツールイ……これはなんのことだろう。別のところには細かい字がうんと書いてあってカリーニンとかルジュタクとか人の名がある。
再び両手を膝にはさみ、体をゆすり、ナースチャはシューラを恋しく思い出すのであった。寂しい……。明るい……明るい……そして一人ぼっちの台所は寂しい。夜はいつしか進んでナースチャはねむたくなる。大きなあくびをして立ち上り、彼女はギーと板を下し、その上にのって高い棚から掛物をひきずりおろした。
便所で誰かが灯をつける度に、高窓のガラスを越してナースチャの寝顔に光がさした。ナースチャは口をあけ、うなりながら眠った。
八
細い肱を蟹のように張って、ナースチャは火のしをかけた。二人寝台用の大敷布はたたむにも、伸すにもナースチャ一人の手にあまった。アンナ・リヴォーヴナが新聞の上へ出して行った木炭は少しだから、火の気の強いうちに、急いでかけてしまわねばならぬ。力がいるのと木炭のガスとでナースチャの顔はほてり、頭痛がした。しかしナースチャは、肱を蟹のように曲げ一生懸命火のしをかける。
ジジーン!
呼鈴がクワルチーラじゅうに響いた。火のしを平ったい金びしゃくにのせ、ナースチャは入口へ行った。
「どなた?」
いきなり開けるなと、ナースチャはきびしく云いつけられているのであった。
「開けて下さい。部屋を見に来たんですから」
それは全然聞きおぼえのない男の声であった。ナースチャは、戸に手をかけたなり怒った声で、
「誰です、そこにいるの?」
と云った。部屋を見る人間がいるなんて、ナースチャは聞かされていなかった。
「心配なさるな、アンナ・リヴォーヴナのクワルチーラでしょう?」
「ええ」
「部屋を拝見に来たんです。開けてくれればいいんです」
午後二時半で、家はナースチャひとりであった。そればかりか建物全体が一日じゅうで一番しんとして人気のない時刻だ。ナースチャはだんだん気味悪くなり、戸の外の気配をきき澄した。
外の男は足をふみかえたり、もそもそしていたが、こんどは拳でトントン戸をたたいた。ナースチャは、内から前垂の端をつかんで叫んだ。
「行って下さい。知らない人に戸を開けることなんて出来ないんだから。アンナ・リヴォーヴナはお留守ですよ」
「強情ぱり」
そう云う声がし、つづいてコンクリートの階段を降りる足音がした。――悪魔奴《チヨルト》、どいつを連れていったんだ!――ナースチャは台所へ戻り、火のしに木炭を足し、サモワール用の小煙筒をしかけた。ナースチャは、満足を感じながら、ふつふつと小さいおき[#「おき」に傍点]の落ちたのを一枚の仕上った敷布の上から吹きはらった。アンナ・リヴォーヴナは、ナースチャが洗濯上
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