腕にかけて外へ出た。あとに麻の大敷布三枚、台覆い、パーヴェル・パヴロヴィッチの下着、さらに奥のところにナースチャの前垂、更紗の服、桃色の股引《パンタルーン》がさかさに繩からつる下っているのが、薄暗い電燈で見えた。
「それだけでいいの」
「ええ、あとは明日でいいんです。左側のは、よその人のです」
ナースチャは永いことかかって戸の鍵をしめた。
リザ・セミョンノヴナは、廊下の物音で目をさました。復活祭に、あと三日という朝だ。女の声がした。アンナ・リヴォーヴナの声がした。泣き声が聞えたような気がした。
顔洗いに行くと、台所の戸が開いていた。ナースチャがその真中に立って、しゃくり上げて泣いている。リザ・セミョンノヴナは、
「なにをこわしたの、ナースチャ」
ときいた。ナースチャは立っている場所を動かず、前垂をつかんだまま、顔から手をはなして答えた。
「干物をすっかり盗まれちゃったんです」
云ううちに、涙が眼からころがり落ちて、怯えたナースチャの頬を流れた。
「昨夜、あなたも見たあの干物を今朝までに誰かが盗んだんです」
リザ・セミョンノヴナは、腹立たしそうに、
「いつだって復活祭の前って云うと、ろくなことはありゃしない」
と云った。モスクワで一番盗難の多い季節なのであった。
「お泣きでない、ナースチャ、泣いたって出て来やしない」
「オイ! オイ! リザ・セミョンノヴナ、恐ろしい、わたしがいつ悪いことをしたのでしょう、アンナ・リヴォーヴナやマリア・セルゲエヴナは、わたしが盗んだって云うんです」
「お泣きでない、お前に二人寝台の敷布なんぞいらないのはみな知ってるんだから」
閉めきった食堂から、電話の音がした。ナースチャはしゃくりながらそれをきき澄した。
「アンナ・リヴォーヴナが警察へ電話をかけているんです。わたしのところへ犬をよぶんです」
リザ・セミョンノヴナが室へ戻ると、ナースチャは茶を運んで来た。彼女はもう泣いていなかった。リザ・セミョンノヴナが机の前に坐り、茶を飲んでいる間、ナースチャは、いくたびか黙ろうとしながら黙り切れず、訴えた。
「あの人たちは盗まれたものがあまり惜しいので、わたしが盗んだなんて云うんです。犬が来たって、わたしどこの隅でも、靴の底まで嗅がせます。平気だ」
ナースチャの涙がとまったが、昂奮でいまはかすかに胴ぶるいしているのが見えた。
「ただ
前へ
次へ
全38ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング