かな土の匂いとがした。ナースチャの桃色木綿の裾《ユーブカ》に風が吹いた。
 ナースチャは、わざと自分の腕の下から、そばかすのある頬ぺたを逆にして、ちょいちょい人気ない原っぱのかなたの空とその下の赤い貨車の列とをのぞいた。貨車は動かず、空の白雲が流れて、野原の半面と貨車とを大きくかげらした。

        二

 村道は埃っぽい。
 村道のはずれに並木道があった。その古い菩提樹《リーパ》の並木道をあっちへ横切ると、石敷の歩道がはじまる。槭樹《ヤーセン》の影の落ちる歩道は八方から集って、緑のたまりのような公園となった。
 公園はほとんどロシアじゅうに有名だ。天気のよい日曜日、池のまわりのベンチの上に、あらゆる賑やかなプロレタリアの色彩と笑声があふれた。ギターと手風琴《ガルモニカ》の音が木立の蔭から夜まで響いた。石橋の上で、赤いプラトークをかぶった工場の娘が兵卒と踊る。公園じゅうにアイスクリーム売りの手押車と向日葵《ひまわり》の種、糖果《コンフエクト》などを売る籠一つ、あるいは二尺四方の愛嬌よき店がちらばった。市からは工場の見学団《エクスクールシア》が楽団を先頭にしてやって来る。見学団は停車場から一露里の道中でうっすり埃をかぶった大よそゆきのエナメル靴の上から、草鞋《わらじ》のようなカバーを麻紐でくるぶしにくくりつけ、静かに力づよく押しあいながら、エカテリナ二世宮殿の毛氈の上を歩いた。彼らが、支那皇帝がこの精力的な女皇に贈ったという堆朱《ついしゅ》の大瓶《おおがめ》を眺めている間、そしてこのたいして美しいとも思えぬ瓶一つのために八十年間三代の工人が働いたという説明をきいて、ぼーっと頭のなかにその長い歳月についやされた工賃を反射させている時、別隊のプーシュキン見学団が、宮殿の外の往来で日にやけながら、ある家屋の軒を見上げていた。
「諸君《グラジュダニン》! ここがわれらの大詩人プーシュキンの学んだ貴族学校長、エンゲルガルトが住んでいた家であります」
 十数人の男女が頤《あご》をそろえて見上げたその水色石造建築物の外観は極めて平凡で、歩道に向った下の窓の奥に「下宿《パンシオン》・レオノヴォイ」という札が出してあった。白いカーテンの上からゼラニアムの赤い花が見える。
 見学団から見えぬその家のテラスで、五人の男女がカンバス椅子にかけていた。モスクワから一日おくれに到着する「
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