る国際的生産破壊計画事件が発覚したばかりであった。自分たちがモスクワへ着いたのはその年の十二月。革命十周年祝祭の歓びの亢奮とドン・バス事件に対する大衆の憤りの亢奮が新来の自分をも直ちにとらえた。ドン・バスへは是非よろう。旅行に出る前、自分は対外文化連絡協会《ヴオクス》から石炭生産組合へ紹介状を貰い、まだ地図もよく分からないモスクワの商業区域を歩きまわって、その手配をした。
バクーは石油の都である。計画に入れてはいたが、ドン・バスほど確定的に考えていなかった。廻れたら廻ろう。その程度であった。それがグルジアの首府チフリスに三日いるうちに、バクー行を実現することになった。この動機の一端が、今になって考えると笑えるようなところにあるのであった。
北コーカサスの温泉地を一晩ぐらいずつ見物して、或る晩ウラジ・カウカアズという町に着いた。チフリスへはコーカサス山脈を横断するグルジンスカヤ山道を自動車で十時間余ドライブして行く筈であった。コーカサスの雄大な美を知りたいと思えば、このグルジンスカヤ山道をおいてはない。そう云われている絶景である。ウラジ・カウカアズが、その起点となっているのであった。
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