これが新しい労働者住宅ですが……一つ内を見せて貰いましょう」
と云った。戸を開けたのは年をとった、韃靼人であった。自分たちを見て何か叫んで、歓迎するように腰を幾度もかがめた。人種にかかわらず、それぞれの油田で最も長く労働に従事していたもの、住居の条件の悪いものから先に、この新労働者住宅へ移された。
「しかし、もちろんまだまだ住宅は不足です。今年のうちにもう二百戸ばかり建つことになってはいますが……」
階下は明るいゆったりした二室に台所。二階は小ぶりな部屋が二つ。こちらにはヨーロッパ風の寝台や椅子。書もの卓子などがあるが、下は、韃靼風によく磨いた床に色彩の濃い敷物と沢山のクッションが置いてある。
韃靼の年よりは別に説明もせず、ただ先に立って戸という戸を勢よくあけ、次から次へ内を見せるのである。戸をあけ、自分はこっちに立って手でサアという仕方を我々に向ってするとき、その身のこなしに、言葉に出しては語られないが胸にみつる年よりの歓ばしさがこもっている。その感情が段々映って、私も静かにつよい感動を今日彼等のところにある生活について覚えるのであった。一九〇三年頃、このバクーの油田で労働者長屋の大爆発が起り三百数十人の労働者家族が惨死した事件があった。石油が湧き出すぐらいであるから、地盤がわるく、有害瓦斯の洩れるような場所が沢山ある。当時の石油会社は、そういう土地の上へ労働者長屋を建て、家賃は給料から天引きにして住まわせた。木造の長屋が古くなって、地中から洩れる瓦斯が建物の内部へ充満するようになって来た。幾度かけ合っても改築せぬ。そのうち或る日の昼、お神さんが飯の仕度につけたストーヴの火が空中瓦斯を引いて大爆発をした。火は火を呼び、更に地べたそのものが火をふき出したが、男たちは油田へ出切っている間の出来事である。三百数十人の大小の死体とメラメラ火を吐いている焦土とが、駈けつけたバクーの労働者を迎えた。これによってバクーに歴史的なジェネストが起った。九人の労働者が指導者として銃殺された。しかし、このことから、バクーの労働者の間に革命の伝統が生じ一九〇八年――一一年の反動時代にはかくれた大きい役割を果すことになったのであった。この時代の活々とした興味と教訓にとんだ回想の集められてあるのが荒川実蔵訳『同情者物語』である。
もしかしたらこの爺さんも当時の叫喚をその耳で聞き、或は自
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