間で二十五万留ぐらいの成績しか挙げられなかった。現在では一台が二ヵ月で八万留。二年にすれば凡《およ》そ九十六万留を掛取するようになったのだそうである。
「カリフォルニアの石油は広いが浅いのです。……もう十五年経つとアメリカはわれわれの石油を買いますよ、――いや、もうベンジンやガソリンは買いはじめている」
烈しい風に吹きとばされまいとして、私は外套のカラーを片手で頸のまわりに押え、技師の鼻先へ耳をつき出してそういう話をききとるのである。三人をのせた大型パッカードはバクーの市から十二露里隔った通称「黒い町」大油田へ向って矢のように走っている――。
四
坦々とした一条のコンクリート道が曇った空の下に高く堤防のように延びている。声が千切れてとぶほどの勢で自動車はその上を走り、行手も、来た方も不機嫌な灰色の空があるばかりである。
数露里行ったところで、はじめて一台の韃靼人の荷馬車をビュッと追い抜いた。幅のせまい、濃い緑、赤黄などで彩色した轎《こし》型の轅《ながえ》の間へ耳の立った驢馬をつけ、その轡《くつわ》をとって、風にさからい、背中を丸め、長着の裾を煽られながら白髯の老人がトボトボ進んで行く。――四辺の荒涼とした風景にふさわしい絵画的な印象であった。
やがて、地平線にゾックリと黒く林立する数百の汲出櫓が現れた。工場の煙突から煙を吐くだろうが、これは凝っと密集して光のない空に突き刺っている。現実にはこっちからその中へ進んで行っているのだが、感じは逆で、むこうが此方へ圧倒的にせり上って来るような凄じい気分である。
チラリとエメラルド色をした水が視野を掠めた。沼だ、そう思った時、コンクリート道がひろく一うねりして、眺望がひらけ、左手に気味わるく青いその沼と、そのふちの柵、沼になるまでの斜面に古い十字架がどっさりあって、そのいくつかが緑青色の水の中へこけかかっているのなどが見える。あとで訊くと、ザカウカサス地方の塩はみんなその沼からとれるのだそうであった。
そこを過て、帝政時代から建っているひどい労働者住宅の間を抜け、段々上り坂の道を自動車は速力を落して進んだ。黒石油だけが湧き出す油田というのを見た。主として重油、機械油、リグロイン(?)等を精製するのだそうであるが、その露天泉を眺めた時、自分は別府温泉の地獄まわりで坊主地獄と云ったか、それを思い
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