やって来て、井上たちの引上げる頃までいる少年が、井上の目をひいた。君、何年? 五年。何ていうの? 辰太郎。この辰太郎は無口で、だんだん掘る仕事の手つだいもするようになった。かえりのバスの中で中学生がふっと井上に云った。あの辰太郎って子ね、何だか寂しそうな子ですね、僕そう感じるな。服装は大してわるくないし、お八ツ時分、井上が角の大福屋へ汁粉をのみにさそっても、余りついて来ない。
この辰太郎が猛之介の孫で、養子であった生みの父親は、財産のことで猛之介と大衝突して、七八年前家を出てしまっていることを知ったのは、もう夏に入ってからであった。
縮《ちぢみ》のシャツの背中を汗でじっとりにして、掘り初めの時分から見ると、すっかり日やけのした井上が、夏の日永を一刻も惜むようにして働いている。辰太郎が運動パンツに跣足《はだし》でわきにくっついて、シャベルを動かしている。その頃には、竪穴はもう二十米以上掘られて、その一部は又土をかぶせて、新築の鋳物工場や、仕上工場の土間になっていた。けれども、今にえらい先生がたが来るのだからと云って、柔らかな土間の上へ白い石灰で竪穴の形が鮮やかに描かれていた。雨のすくない夏で、樹木の一本もない敷地の赭土の反射は炎暑でもえるようである。井上も中学生も辰太郎も、余り暑気の激しいときは、仕事をやめて沢よりの藪かげへ寝ころんで休んだり、雨天体操場のような天井の高い仕上場の土の上へ菰《こも》を敷いて横になったりした。
辰太郎は何となし井上や中学生がすきになっているのであった。一粒種の後とりだから猛之介はこの孫を甘やかしている。婆さんや娘より、一段上のものという感じで見ていたが、辰太郎としては、一種の孤独の思いがいつも胸にあるのであった。じいちゃんと自分との間、おばあさんと自分との間、そして母さんと自分との間、どっちを向いても、何となくもの足りない淋しいものがある。井上は中学生も辰太郎も同じ仲間のようにして、特に辰太郎には、竪穴に関連していろんな興味ある産業の進歩の歴史の話をきかしてくれた。辰太郎は、この丘の上へ続々立ちはじめた極めて近代的な工場と、その土の中にある古代の生活の遺跡とを、おどろきの目で見較べながら、そういう話をきいた。
夕方、辰太郎がかえると、その刻限には大抵夕顔の棚の下の床几にいる猛之介が、ふむ、きょうは何が出た、ときくのであった。竪穴から何が出たかという意味である。辰太郎は、切れもんの破片が出たよ、とか、モモの核が出たよとか手短かに答える。自分から、きょうは馬の歯が出た、と云ったこともある。猛之介がそれを訊く気持を辰太郎は知らない。この夏は殆んど毎日合金の敷地で暮しているのに、叱りつけられないわけも知らない。猛之介は、孫が我知らずそこで自分の代理の役に立っていること、何か変ったものが出たとき、自分が知らずにいるようなことは無いめぐり合わせになって来ているのに満足しているのであった。
工場の建築の方が愈々《いよいよ》捗どって来て、この一週間ばかりのうちには最後にのこった二つの竪穴を調べ、発掘の仕事も一段落をつけなければならない時が迫った。井上は益々せっせと掘って、休むときは先の頃のように只寝ころがってはいず、仕上場の周囲にとりつけられた作業台の上に、これまで大きい木箱に入れておいた素焼の甕だの皿だの軽石だの、一つ一つこまかく何か書きこんだ紙を貼ったのを丁寧に並べる仕事にかかった。ボルトで締めた柱には幾通りもの図がかけられた。
一方ではそういう陳列をすすめながら、最後の小型の竪穴が掘られたのであるが、丁度人気ない手洗場の水道の蛇口へ口をもって行って水をのんでいた辰太郎は、辰ちゃん! おやいないのか、と云っている井上の声をききつけた。ね、確にそうでしょう? 火事があったんだね。辰太郎は、走ってその穴のふちへ行った。井上は、ガラスの円い蓋つきの器を片手にもっていて、その穴の壁に沿ってついている焼灰の中から、こげたススキの一かたまりを、その器の中へそーっと入れている。辰太郎を見て、井上がこの竪穴ではどうも火事を出したらしいよ、と云った。こんなに灰があるし、このススキなんかは多分屋根だったのが、燃えおちた跡なんだろうね。
火事のあった竪穴。ここで火事が出た。辰太郎は何だか気持が瞬間変になったほど、ここに群れていた大昔の生活を自分の身に近く感じた。これまでは、云わば標本のように古びて動かない遠方において感ぜられていた全体のことに、火事という活々と身近い出来ごとが、ここにもあったときくと、俄にはっきりとした生活の息吹が通って来た。どんなにみんなが騒いだだろう。叫んだり、馳けずりまわり、稲の束をかついで逃げたり、どんなにみんながびっくりしただろう。その光景を思いやると、辰太郎は何だかひどく可愛そうになった
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