現の慾望となるのであった。そんな時代、詩は一つもかかないでいきなり小説をかき出したことは面白いと思う。「貧しき人々の群」というような小説そのものがいってみれば一つの散文詩だと、いえばいえるのでもあったろうか。
 やはりその田舎の村へ雪のつもった冬に行ったことがあった。夜風が街道を吹きはらっていて、電柱のうなる音がしていた。ふと、その風が遠くの街道からカチューシャのうたをのせて来た。学生らしい歌いっぷり、その声は段々近づいて来て、また次第に遠く消え去った。それは東京で松井須磨子のカチューシャとともにその頃はやりはじめたばかりの歌であった。それをうたう人は東京から来た人しかなく、男の声でそのうたをうたう東京から来た人といえば、その村では誰それとすぐわかる人であった。私はそれにじっと耳を傾けている。雪がつもって凍った外の夜はいかにもひろく、むこうの山並までもつらなっているなかを、マント姿で行く人の姿を浮かべているのであった。
 十九のとき、十五であった弟が亡くなった。それより前に十六のとき、五つであった妹がなくなっている。そればかりでなく、その間にはもう一人、人形のような顔をした赤ん坊が一人
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