来かねるところがあり、そのため一九二三年、レーニンのすすめで彼がイタリーのソレントに療養生活をするようになった時も、いろいろの噂があった。ゴーリキイはソヴェト・ロシアを見すてたとか、レーニンと不和になって除名をうけたとか。
 五年の歳月は事実において、そういう見方の誤っていたことを示した。一九二八年の初夏、五年ぶりでゴーリキイがソヴェト同盟に帰って来た時、彼は大衆的な歓迎の嵐におされ、殆ど落涙した。六十を越しても、真理を求める精神は青春を保ち、一九三二年、世界的な規模で彼の文学生活四十年が祝われた時、ゴーリキイは、最も混り気ない献身、彼の文学的力量の全蓄積をもって、世界文化の発展のためにその先頭に立つ老戦士として自身を示したのであった。
 私達が非常におどろきを感じ、且つ深い感動を受けるのは、一九三一年以後の四年間に世界文学の進歩のためにつくしたゴーリキイの影響の大さである。最近の数年間、世界はこの最も古い而も最も若い文化、芸術の巨きい星の放つ光によって、如何程多く啓発されたことであろう。
「文学は神々をさえ創造した人類への奉仕である」ことを確信し、「錯雑した歴史の事件の中に自分自らを見出し、そして全人類的なもの、善なるものを創造しつつある意志に自分の意志を併行させ、人生の意義をその中にふくむその偉大な創造に障害を与えている意志に対立する」ことを作家として一番大切なこととしたゴーリキイの六十八年の生涯は、或る意味で全く世界最初の豊富な作家的完成の典型と云い得ると思われるのである。[#地付き]〔一九三六年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「婦人公論」
   1936(昭和11)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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