ころ島木氏の不満とその不満における自信は、一つの唐突さと滑稽とを感じさせるものではなかろうか。
一つの例にすぎないが一作家における以上のような、現実からの作品の創り出しかた及び、文学作品の世界としての現実の受け入れかたを見較べると、おのずから再び文学とは何であろうかというところ迄立ちかえって、考えさせられるものがある。「どういう風にするかの実際」だけを抽出して描写することで文学としての生命が与えられるものであるならば、題材は豊富であろうし、技術的な実際に即して「どういう風にするか」の説明にも窮することがないであろう。生産文学と呼ばれる作品が、何故今日、その隆盛のために却って一般の心に、文学とは何であろうかという本質的な反問を呼び醒ましつつあるのであろうか。
「麦と兵隊」に、死んだ支那兵のポケットにまだ動いている時計を見つけた主人公が、それをそのまま元へ戻してやる情景が描かれている。読者の記憶にのこる効果で描かれている。だが、そのように効果的に描き出された成功よりも更に深く横わる文学の問題、一箇の芸術家がこの人生にいかに面するかの問題は作者火野葦平氏がその効果と、優者の襟度としてのそ
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