ころ島木氏の不満とその不満における自信は、一つの唐突さと滑稽とを感じさせるものではなかろうか。
一つの例にすぎないが一作家における以上のような、現実からの作品の創り出しかた及び、文学作品の世界としての現実の受け入れかたを見較べると、おのずから再び文学とは何であろうかというところ迄立ちかえって、考えさせられるものがある。「どういう風にするかの実際」だけを抽出して描写することで文学としての生命が与えられるものであるならば、題材は豊富であろうし、技術的な実際に即して「どういう風にするか」の説明にも窮することがないであろう。生産文学と呼ばれる作品が、何故今日、その隆盛のために却って一般の心に、文学とは何であろうかという本質的な反問を呼び醒ましつつあるのであろうか。
「麦と兵隊」に、死んだ支那兵のポケットにまだ動いている時計を見つけた主人公が、それをそのまま元へ戻してやる情景が描かれている。読者の記憶にのこる効果で描かれている。だが、そのように効果的に描き出された成功よりも更に深く横わる文学の問題、一箇の芸術家がこの人生にいかに面するかの問題は作者火野葦平氏がその効果と、優者の襟度としてのそのあたたかさを、自身に向ってどう見ているかというところにこそかかっている。生活の現実は人の心をひき緊めているから、文学に向う目もそこまでは及んで来ているのである。[#地付き]〔一九三九年四月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「帝国大学新聞」
1939(昭和14)年4月17日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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