てなおあまりあるものであるということを明かにするべきであった。文学はそれだけの命と社会的奥行をもつものである。
二葉亭四迷もこの面からみれば、歴史の力に消耗されることを自身にゆるした瞬間、悲劇の一歩をふみ出しているわけである。
現実に面してひるまない精神ということと、何が出ようとも何とも感じず常にそこから自分にとって一番好都合の部分をかすめとって来る機敏さというものとは、全然別様のものである。歴史に働きかける力としての存在ということも、いつも立役者として舞台の真中に華々しく登場しているということとまるでちがう。
科学者が真に科学者であるためには沈着な勇気と歴史への洞察と人間は結局合理的な生きものであるということへの信頼とを、つよく胸底に蔵さなくてはならない時代がある。科学の世界にだって、流行というものはある。それが近代の宣伝術というものときりはなされない時代性格である。昔錬金術というものがあって今日の人の目はそれが科学でなかったことを知っているのであるが、それなら何人の努力の成果に立って、きょうの科学は錬金術の非科学性を明らかにして来たのであったろう。決して決して錬金術師達の口
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