業績を重ねながら、目前の日本文学一般がおくれていることへの不満のはけくちを、日清戦争後の日本がさらにシベリアへ着目していた当時の国士的な慷慨のなかに見出した。そして、朝日新聞社からロシア視察旅行に赴き、あちらで発病して、明治四十二年五月帰途の船が印度洋を通っているとき病歿した。
二葉亭の悲劇は決して旅の半ば船中でその生涯を終ったことではない。彼の悲劇は、あれだけ日本のために文学をもって働きかける力をもっていたのに、周囲のおくれていたことに本質的には敗けて文学の理想は大きく高く懐きながら、その道から逸れて行った心理のうちにある。通俗の目にすぐ肯ける男子一生の業にうつったところに悲劇があるのである。
現代の世界の波濤は、二葉亭四迷のこの悲劇を再び案外に多くのところで、若い命の上に反覆しようとしているのではないだろうか。
二葉亭四迷の行うべきであった義務は、日本の文学の成長を根気づよく支持し、援け、力の限りそのための養いとなる条件をふやして行って、自分の理想とする文学創造の可能のためにたたかうことであった。それにくい下って離れるべきでなかった。文学は、まぎれもなく男子一生の業として足り
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