春のおのずからな経過と歴史の力がそれを消耗してゆくこととの間には同じでないものがある。それを人々はどう感じているだろうか。この関係はもとより今にはじまったことではなくて、人類に社会生活が形づくられたはじめからあるわけだが、歴史の特殊な激動期にこの関係は非常に緊張して来る。或る種の人々はその緊張のために思考する力を喪って、より強烈な需要に自分の生活を吸収されつくしてしまう。経験が歴史の推進にとって重大な価値をもつのは十分な自覚と観察と判断と結論とが種々様々な思考と行動との間からまとめられて来るからであろう。そのとき一つの歴史が生きて経過され体と精神とによってためし験されるということが出来るし、人間として歴史に働きかけてゆく能動の力が生じるのである。
 どんなに歴史が強烈に動いても、それは人間の動きから発するものであるということは明らかなのだし、そうとすれば、人間の義務はあらゆる場合に、歴史に消耗されっぱなさず、歴史に働きかける力としてめいめいが存在しなければならないことにあるのではないだろうか。そして、この歴史に働きかける力としての存在の姿に、いろいろ私たちを考えさせるものもあるわけであ
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