生活の道より
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)略《ほぼ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三四年十二月〕
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今年の一月から半年ばかりの間、私は大変非人間的条件の下で生活することを余儀なくされた。
今になって見ると、その不自由な生活の終りに近くなってからのことであるが、私は心臓が弱って氷嚢を胸に当てていないと、肺動脈の鬱血で咳が出て苦しい状態にあった。
そういう或る日、塵くさい木造建物の二階の窓際で髪を梳かし、少しさっぱりした心持になって不図わきを見ると、二三冊の本と一緒に「ローザの手紙」という茶色表紙の本が目に入った。
手にとって見ると、ローザ・ルクセンブルグがヨーロッパ大戦中三年四ヵ月の間監禁生活を強いられていた、その期間にカール・リープクネヒトの妻にあてて書いた手紙が集録されたものであった。
ところどころ、それとなく拾い読みをしては私は激しい読書の飢渇を医やしたのであったが、そのような条件の中で偶然私の視野に入って来たこの小さい一冊の書翰集は二様、三様の感想をそのときの私の心に呼び起した。
その本の出版されていることを、私はずっと以前から知っていたし、訳者の井口という人をも少し知っていた。私が最初の小説を発表した時分、和服でまだ帝大の制帽をかぶっていた訳者は、私の仕事について何通かの手紙をくれたし訪問もされた。私はまだごく若くて、その人の専門の学問その他に注意をひかれるより、単純にその人の書く手紙に英語の詩やその他所謂偉大な思想家の著作からの引用文があんまり沢山あることで、何か親しみ難い感情を抱いた。
私は、手紙の中に様々の引用文などをする人の好みとは反対の好みを持っていたのであった。
訳者と私とのつき合いは発展せず、そのまま何年かがすぎ、しかしその人がドイツへゆくとき、又外国で病を得てスイスの療養所にいること、妻子の様子などについて短い消息は、エハガキなどで忘られた時分送られて来た。
それから後の数年の間に、私は日本の知識階級出の一婦人作家としては懸命な発展への道を辿り、訳者は、日本にであろうかベルリンにであろうかドイツ婦人の妻とその間に生れた子供をのこして早世した。
このローザの書翰集の粗末に扱われていたんでいる表紙の上にのこされている訳者の
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