補い誇張する手段があった。ところが、統制になって、そういう補助の手段が減って来たために、専門家は愈々純粋の染色技術で行かなければならなくなって、ここで本当に腕のある熱心なひとは、必ず一つの進歩をとげることが期待されているのだという話であった。しかし、そこに又むずかしいこともあって、商売である以上、採算がとれるとれないのことが念頭にある。素人にとって何のちがいも分らない骨折りを、仕事への良心のために、敢て重ねてゆく工人は果して何人あるだろう。しかも、そういう迂遠な道を厭わぬ人たちによって、染色という技術の水準は守られ高められてゆくのである。
現在既にそうなって来ているのだが、これからは益々、日常生活の中にある美を守勢で擁護して行こうとしても消極に陥るばかりだと思う。生活の中に喪われてゆく従来の美しさへの郷愁で、手工業的なものの趣味に愛着する傾きも、今日の社会の一部にある美の衰弱を語っている徴候だと思う。
私たちは、めいめいの生活に即し、そこに動き流れる表現として造形的な美しさをも捉え創り出してゆく心の抑揚をゆたかにしたいものだと思う。ものを美しく精髄的につかうわざを会得してゆきたい。美しいものもそれが一定の関係の下では醜いものと転化してゆく、その瞬間に対して敏感でありたいとも願うのである。[#地付き]〔一九四一年七月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「アトリエ」
1941(昭和16)年7月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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