るならばちょっとでもくらしの楽な身分のいい相手をみつけようとしてあせったその同じことを、こんどは親の手ばかりわずらわせず自分でさがしまわるということでしょうか。決してそうは思えません。まだまだ生活の実際では主食のことから住居のことからまったく自由でない苦しい生活のなかで、その苦しさと闘いながらすこしでも苦しさの原因となっている今日の社会の矛盾を改善してゆこうと努力する若い婦人であるならば、恋愛の相手としてヤミ屋の親分がえらべましょうか。食うに困らず、顔がきき、絹くつ下にも困らないからといって、そういう人の最善の愛人でありうるでしょうか。恋愛ということは字が示す通り、人間と人生を愛する心のうえにたって、男と女とが互いにひかれあう感情です。昔の人が手鍋さげてもといったその感情は、とぼしいなかにも二人が希望のある、そして見通しのある生き方をみとめあって、たすけあって不幸と闘ってゆくその幸福をいみした言葉ではないでしょうか。
若い婦人が戦争の間、あれほど幸福をうちやぶられてくらしてきたのに、まだ幸福というものが一つのきまった箱のようにどこかにあって、それを自分のものにするかしないかというふう
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング