登場したと考えられる。ゾシチェンコは中央アジアのどこかに避難していて、羊の焙肉をたべていて、やせもしなかった体と、脂肪の沈着した脳髄とをもって、やつれはて、しかし元気は旺盛で、笑いを求めているレーニングラードに帰ってきた。そして自分の店をひろげはじめた。
ソヴェト市民が欲しがっていたのは、ハァハァと陽気闊達に笑う哄笑であり、仲間の脇腹を突つきながら、快心をもって破顔する公明正大な笑いであったのだろう。ソヴェト市民の生活感情に、そういうユーモアがないならば、イリフ、ペトロフ二人のような辛辣で人間らしく、しかも新社会の感覚にみちた諷刺作家は生れなかったはずである。ソヴェトの新しい軽音楽を開拓している諷刺的な流行歌(シャストシュカ)の歌手、「陽気な連中」の主役を演じたような歌い手も出ないはずである。今も『鰐』という諷刺雑誌が出ているかどうかわからないけれども、これも辛子《からし》のきいた諷刺雑誌であった。自己批判としての諷刺は、自己批判を発展のモメントとしてはっきりつかんでいるソヴェトの生活感情の中では、自然で健全なあり場所をもってきた。
ゾシチェンコは昔からいつもいかがわしい、清潔でな
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