モスクワにいた時分、エセーニンの詩が一部に愛好されていた。エセーニンは、さまざまの問題はあろうとも、詩というものをつくった詩人であったことは疑いない。彼の哀愁にみち、生きる目的を見失った、旧きロシアの魂のメロディーをくつがえす詩は、一部の人にもてはやされた。そしてある種の外国人はソヴェト文学はファデーエフやショーロホフによって代表されるという概括に反対して、いや、今でもエセーニンの人気は大したものだ、と抗議した。微妙な心理から、ニュアンスをもって、エセーニンの名を執拗にあげた。そういう人々はソヴェト同盟の社会生活の心理には、いつでも『プラウダ』の肯定しているのとは違った底流れがあるということを、生活感情が分裂懐疑している自分たちの文化の本質を計らずむき出しつつ、興味をもってつつきまわす人々であった。
ジダーノフの報告にあげられているゾシチェンコやアフマートヴァの例を、二十数年昔にエセーニンについて示したと同じような感情で見る人々も、ひろい世界にはあるだろう。しかし人類の発展を良心的に歴史の歩みにしたがって理解しようとしている文学者にとって、第二次大戦のなかった昔と、その後の今日とでは
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