。ガルシンの「赤い花」が西欧の読者の胸をうったのは、そのシンボリズムが何を語っていたからであったろう。
 公然と条理をもって、しかも人間的機智と明察をもって、どこまでもユーモラスに、だが誰憚らぬ正気な状態において諷刺文学がありうる処と時代に、スカートの中を下からのぞくようなゲラゲラ笑いが、笑う人間の心を晴やかにするとは思われない。自分たちの社会主義社会を防衛するという必死の集団的行動において、おのずから英雄的であったソヴェト市民の一人のこらずが、その難の終った後、いっそう深くその行動の世界史的価値を自覚するということは期待しにくかろう。少なからぬ人にとって、それは当面したさけ難い困難・必要として全力を傾けて克服したのだが、その経験は感性的に経験されたにとどまったであろう。感性的経験は時間に洗いながされる。それだからこそ、勇士と生れついていないすべてのおとなしい平凡な人々さえも、生存の必要に当って英雄でありうるのだともいえる。すべての女性が生みの痛苦に耐えうるように。しかし個々の意識人の人生において、経験は蓄積されなければならず、批判・発展が継続してされなければならず、その結果としての閲
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