、類似の文学現象にたいしても同一の感想はもちえないのである。
 アメリカ人は日本人よりも、しんから笑う、ということをよりよく知っているといわれる。さまざまの社会的矛盾があるにもせよ、民主的社会としての伝統をもち、市民の権利の実感に立って、自分たちの社会の失敗も成功も批判してゆく自信をもつ民衆は、罪のない大笑いを好む。アメリカの漫画の発達、ナンセンスな遊戯の趣味、軽音楽、サローヤンの軽い文学。それらはみんなアメリカの旺盛な生産力、激甚な自由競争、充実緊張した実務時間の半面におこる文化的要求の反映である。世界生産の諸部門において、ソヴェト同盟はアメリカに近接しつつあるし、ある部分ではそれを凌駕しつつある。勤労人民の生活条件の安定は、最もソヴェト同盟がまさっているだろう。社会主義的民主主義は社会生産の形態を、利潤の要求から直接生産者への享受に進展させているから。そういう社会生活の上に生じた笑いの欲望につづいて、五年間ソヴェト同盟が耐えて来たナチとの闘争は、七百万人の命を犠牲とする苛烈なものであった。永い忍耐のいるこの血闘は勝利で終った。ソヴェト市民は、そのときにあたってどんなに気分の快い転換を欲しただろう。たのしい音楽を! たのしいみもの(スペクタークル)を! そして読みものを! 美味いボルシチと久しぶりでの清潔なシーツとともに、それらを欲した。家具のにかわ[#「にかわ」に傍点]までたべたソヴェト市民に、それらを欲する権利がなかったとでもいうのだろうか。
 すべてのアクティヴな作家は、前線に、また前線に近い銃後に赴いて、彼らの文学的記録・通信を送っていた。十数年前には、モスクワの細長い書斎で、日本から来た女を前におきながら、私は退屈してしまったわ、曲芸《チュルク》も見あきたし……というようなことをいっていたベラ・イムベルでさえも、包囲されたレーニングラードに翔んでいって、その都市防衛の生活記録を日記風に書いた。「前線通信員」の歌の文句のとおり、活気をもったソヴェト作家のほとんどすべてが「東に西に、南に北に」祖国防衛のために協力した。戦争が終ったとき、これらの作家たちが、疲労を休めながら、戦争中の文学的収穫の整頓・出版に忙しかったことは想像される。そのために、ソヴェト市民が求めているくつろぎと笑いとに答えるゆとりをもたなかったことも想像される。
 このすき間にゾシチェンコが
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