具体的な現象ならびに、文学の一部におけるよくない傾向の発生について適切な注意をくばる実力をもっていたのなら、そもそも『星』のような場合は起らなかったかもしれない。党の文化問題として批判の発端がとりあげられたということで、他国の知識人の間には三十年来それが一つのマンネリズムになっているとおりソヴェト同盟における芸術の自由その他にたいする反撥が予想されるかもしれない。けれども、毛沢東が中国民衆の人間らしい生活の確立のために、あれほど懇切に、あれほど初歩の問題から文芸の課題について語っているとき、誰がそれにたいして反感を抱きえよう。とくに日本の読者のある種の人々は中共にたいして同情的であることも興味ふかい。ソヴェト同盟において、党は全社会生活にたいする指導の責任をもっているのだし、その上、ソヴェト同盟においては彼ら組織人そのものが、直接文学の読者の一部でもある。まず読者として批判の権利をもっている。この生きた関係は、現在の日本の社会感情や、前衛党とその外との知的関係のありかたのすこし前方に進出したものである。合法党として存在しはじめてわずか一年を経たばかりの日本の党が、よしんばまだ十分豊饒な文化性を溢れさせていないとして、また組織人の大部分が文芸作品の真剣な読者である暇がないほど活動に多忙であるからといって、日本の民主的革命とその文学の発展のために、党が重大な関心を示すのが、誤りであるとどうしていえるだろう。最近極東委員会で日本の労働運動に関する決定十六項が発表された。その中には、日本の民主化のために骨髄的諸項――たとえば労働組合の政治活動の自由・政党支持の自由・組合員であるからといって不当なとり扱いを蒙ることはないし、検挙をうけたりすることもないようにという条項など――が明文化された。ここまで、日本の労働運動の実状について極東委員会の注意を喚起し、基本的人権を現実のものとするようにと日本的限界を拡げていったのは、どういう日本の官僚たちの仕事だったろう。これこそまったく、勤労大衆の実行力と組合の献身とその前衛である党とが、自身の犠牲においてかち得たものである。勤労人民の組織的な生活向上のためにそれだけ努力する党が、日本の他のどの既成政党ももたない文化政策の大綱を公表していることも自然である。そして世界の各民主国家が、その民主的進展の歴史的段階に応じて、それぞれの経験と成果
前へ
次へ
全20ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング