け語られたと思う。日本の美の一つの要素である省略の趣向は、どのような生活感情からのつながりとして現われているのかと外から見て行かず、それが日本人の直感的な性質であるからと結論で示されてゆく傾きがあった。しかし近代日本の精神は一般に、より科学的に高まっているから、やはりそこに分析と綜合の精神活動が求められ、それを通じて美をも一層豊富に感得したい欲望、即ち、世界の美感の中へつき出されて猶色|褪《あ》せぬ美としての美しさを感じたい欲望をもっていると思う。その心持が、外国人の優れた新鮮な感受性に映って整理され、美の認識として再構成された美の評価を好むということになって来ていたのだと思う。日本文化やその美が、日本の学問の対象としてもっと理性的に学問的に取扱われるようになって来れば、日本文化は遂に自身の評価者として自身の文化を持つようになって来るわけであろう。
 文化の価値について云われるとき、外国人は元よりのこと、多く完成されている古典を対象とする習慣も、その理由はうなずけるが私たちには或る物足りなさを感じさせる。云ってみれば、一定の文化水準にある者には、外国人に日本画の美しさがわかるように、日
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