象に注目して不甲斐なさを感じただけで、何故そのようなことがおこって来ているか、その文化的な原因まで追求していない。そのようなところにも、計らず日本の性格の中間的であり、簡素さが現われているのだろうか。明治以来の社会生活の急激な推移は、わるい形で外国崇拝を習慣づけているばかりでなく、日常の生活感情をも多面的に変化させている。過去の芸術上の美は、改めた目で見直され、改めて美しさのそれぞれの典型として歴史の中に評価され直さなければ、後代の生活感覚の中にそのまま共感され難いところがある。ところが、ブルーノ・タウトの「日本美の再発見」の桂の離宮の美しさの描写にしろ、外国人であるタウトはそれぞれの手づるによって国の美の宝石を夥しく見る機会を与えられたが、この国のものが果して何人、礼服着用とたやすくない紹介のいるその建造物の美に直接触れているだろうか。絵画についても、彫刻についても国文学上の原典についてもそれは云える。このことは、明かに自国の文化の評価に対して私たちの負うている一つの負の面である。それとともに自分たちの持っている文化の研究が従来はとかく主観的にそのものを構成している諸要素の内側からだ
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