な亢奮を示している例もあるし、ある場合には、著作者自身には知られているだけの客観的知識を、そのあるがままの現実で示されていない場合もある。文化について文化的[#「文化的」に傍点]に書かれている本の非学問性という点を、特に今日私たちは心しなければならぬのでないだろうか。
こう語って長谷川如是閑氏の「日本的性格」(岩波新書)にふれると、さながら、そういう危険にさらされている著述の代表のように思われて著作にすまないようだけれど、この本はおそらく興味をひくその書名からも随分広汎に読まれている本だろうと思う。従って、この本のよさと読者としての不満とをはっきり語られても失礼ではないだろう。この本は、第七章から後の方が、初めの部分より現実的に客観的に書かれているというところが甚だおもしろい。
さきにあげたいくつかの日本史に関する本を読んだ人、または本庄栄治郎著「日本社会史」(改造文庫)一冊を理解している読者は、「日本的性格」の中に語られている文化伝統の解釈について、いくつかの疑問を抱かずにいられまいと思う。例えば日本の貴族は、西洋の歴史にあらわれるような侵入的な外国的存在ではないから、その貴族文
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