偏らずに解説して、文化史上の卓越した人々の伝記をも集めているという点で、今日の若い人々のためには特に有益なものだと思う。
「文学史」として、やはり岩波講座の「世界文学」と「日本文学」及び、日本評論社の「日本古典読本」(十巻)および同じ発行所の「日本文学入門」改造文庫「欧洲文学発達史」等をあげたい。「日本文学入門」は明治以来昭和十五年までの日本文学が観察されていて、文献がこまかくあげられているとともに、国文学というものがいかなる方法で研究されるべきかという点について新しい考察もふくめられている。
 大体、文化史というものは、何となし私たちに親密に感じられてとりつきやすいと同時に、その文化についての述作の中には様々の夾雑的要素がまぎれ込んで来やすい危険がある。文化の観念は、ウエルズの所謂《いわゆる》青春的現代の紛糾にあって必ずしもいつも明徹であるとは云えず、昨今は、文化の研究は学問的に、つまり客観的真実に立ってされるべきものであるという第一条件において動揺している例が必ずしも無くはないと思う。原始文化の土器について語るとき冷静である著述家も、今日と明日の文化について語るときは主観的な時代的な亢奮を示している例もあるし、ある場合には、著作者自身には知られているだけの客観的知識を、そのあるがままの現実で示されていない場合もある。文化について文化的[#「文化的」に傍点]に書かれている本の非学問性という点を、特に今日私たちは心しなければならぬのでないだろうか。
 こう語って長谷川如是閑氏の「日本的性格」(岩波新書)にふれると、さながら、そういう危険にさらされている著述の代表のように思われて著作にすまないようだけれど、この本はおそらく興味をひくその書名からも随分広汎に読まれている本だろうと思う。従って、この本のよさと読者としての不満とをはっきり語られても失礼ではないだろう。この本は、第七章から後の方が、初めの部分より現実的に客観的に書かれているというところが甚だおもしろい。
 さきにあげたいくつかの日本史に関する本を読んだ人、または本庄栄治郎著「日本社会史」(改造文庫)一冊を理解している読者は、「日本的性格」の中に語られている文化伝統の解釈について、いくつかの疑問を抱かずにいられまいと思う。例えば日本の貴族は、西洋の歴史にあらわれるような侵入的な外国的存在ではないから、その貴族文
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