の働いて生きる者は必要な社会保険によって最低保障は与えられるということが実現しなければ、結婚という一つの場合だけでさえ当事者の「自由な意志」というものは、皮肉な、揶揄めいた表現に終るのである。
夫婦の間の財産処理について、また子供らの後見者として妻、母の権限がひろくなろうとしている。孤独な母、妻である多くの婦人は、これによっていくらか家族の間における立場を改善されるであろう。しかし、財産とは、今日、何であるだろう。金とは? そして、土地とは? 民法が婦人の財産権を認めたとき、日本では、戦争によって財産の安定は極端にゆるがされている。金の力を信頼しているおろかな婦人は一人もいない。一部の人々が今日濫費しているのは、金の力を信じないからこそである。使えるうちに使っているからである。そして、ますます悪循環と偏在とを招いている。
世界の婦人たちが、世界の未亡人の問題を、単にそれら不幸な女性だけに直接な境遇の問題として扱っていない根拠がここにある。未亡人たちの身の上に集注してあらわれている被害、社会的矛盾、困難こそは、全くすべての働く女性、主婦、学生の日常の基本に一貫した受難であり、未来において絶対に克服されなければならない人間的な損傷と社会的矛盾である。その意味で、民主国では、この社会的な課題は、男女をこめて、明日のより条理そなわった社会建設に志す人々にとって、提出されている総括的な課題の一部分として扱われているのである。なぜなら、健康人の社会生活が安定であって、はじめて、病人の生活も保証される。順調な家庭生活の社会的基盤さえも失われている社会で、どうして不幸が根絶されるだろう。
民主的進展の速いヨーロッパ諸国で、この大戦後、婦人の政治的・社会的発言が強くなった必然は、ここにこそある。未亡人という文字は単調だが、それを実質づける多種多様な立場の孤立した母、妻たちが、現代の歴史のあらゆる角度から、人間らしい生活の再建の可能を確保しようと歩み出し発言していることは、日本の私たちとして、真剣にくみとるべき態度だと思う。現代の世界の未亡人の歴史的な意味は、これら老若幾千万の女性たちが、自身のはかりしれない涙と不幸との理由をしっかり人類の進歩の中に理解した、というところにある。第一次欧州大戦の後のように、婦人として平和を希望する、というような弱々しい心情から歩み出して、平和と生
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